【千葉魂】 三代にわたる不思議な縁 ドラフト3位成田家とロッテ

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 不思議な縁に導かれたのかもしれない。11月4日、ドラフト3位指名した成田翔投手と秋田商業高校内で入団のサインを交わした。マリーンズのユニホームに袖を通し、大勢の報道陣に囲まれる息子の姿を父・努さんはうれしそうに見守った。そして、千葉ロッテマリーンズとの深い縁に感謝をした。

 「ご縁を感じています。そしてその縁に感謝をしています。私の母の父。(成田)翔にとっては、曹祖父にあたるのですが、実は埼玉のロッテ浦和工場の寮長をしていた。私も子どもの時は埼玉に住んでいました。ロッテと聞いて、おばあちゃん(曾祖母)も喜んでいました」

 成田が1歳の時に亡くなった曹祖父。1歳の時に秋田まで顔を見に来てくれて、その年に亡くなった。定年までロッテ浦和工場の寮長として頑張っていたことを聞いていた努さんは千葉ロッテマリーンズに指名された時、真っ先に曹祖父の顔を思い出した。

 「おばあちゃん(曾祖母)は指名が決まった時、『仏壇に報告をしておくよ』と喜んでくれました。今も、テレビニュースとかで出るたびに『見たよ』と連絡をくれる。90歳を超えますが、(成田)翔の活躍を誰よりも楽しみにしてくれています」

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 実は成田とロッテの縁はまだある。努さんが秋田県内の大学3年生だった1991年5月19日。秋田八橋球場にてロッテ対近鉄戦が行われた。野球をしていた努さんはアルバイトとして試合に携わった。一塁側・ロッテベンチのボールボーイを務めた。

 「私の人生で忘れられない試合です。プロ野球をベンチ横の真近で見るのは初めて。それになんといっても乱闘がありましたから。今でもよくスポーツ番組で、その場面をやっていますよね」

 近鉄・トレーバー内野手が死球に激高し、マウンドに詰め寄ったことにより、この試合は大乱闘に発展した。努さんはその場面を目の前で見た。驚いた。

 「いやあ、プロ野球ってすごい世界だと思いましたよ。命をかけて試合をしている。熱さを感じました。そんな世界にまさか自分の息子が入ることになるとは夢にも思いませんよね。しかも自分がボールボーイを務めたロッテにですからね」

 このエピソードは入団契約を交わした夜にスカウトと成田選手のご家族との間で行われたお祝いの食事会で披露された。この話に永野吉成チーフスカウトと成田選手の担当スカウトである井辺康二スカウトは目を丸くした。そして二人で声をそろえた。

 「あの試合は私たち二人ともまだ現役でブルペンでいつでも投げられるよう待機していましたよ!それじゃあ、きっと球場のどこかで、すれ違っていますよね」

 現役選手だった当時、中継ぎ投手として1軍ベンチ入りしていた永野、井辺の両スカウトは驚いた。なお、この試合を小学生だった秋田商業高校の太田直監督もスタンドで観戦をしている。成田に関わる多くの人たちが91年5月19日、同じ場所で同じ時間を共有していた。本人が生まれる、はるか前の話だが、縁という不思議な言葉をあらためて感じさせられた瞬間だ。

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 「これまで携わり、お世話になったいろいろな人、家族や両親に感謝の気持ちを忘れることなく、プロの世界で頑張っていきたいと思います。だから、自分は感謝という言葉をいつも胸に刻みます」

 好きな言葉を報道陣から聞かれると成田はすぐに『感謝』と答えた。人との出会い、縁を大事にし、日々、感謝の気持ちを持ちながらプロの世界で大きく羽ばたこうと胸に誓った。ファンの期待、地元・秋田の期待は高い。縁にも導かれ、マリーンズの背番号41を身にまとった成田は、これからは多くの人に夢や希望を与えられる存在になるべくマウンドに上がる。新入団会見、ファン向け発表会、施設見学などの一連のスケジュールを無事に終えた成田は目を輝かせながら秋田に戻った。年明け早々に新たな挑戦が始まる。

 (千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)