【千葉魂】 目からあふれ出ていた闘志 今江「自分の中心は野球」

 気持ちで塁に向かった。7月14日のオリックス戦(京セラ)。八回の第4打席で左手首に死球を受けた今江敏晃内野手は表情をゆがめながらも、一塁へと向かった。痛みを押し殺し、前を向いた。伊東勤監督から交代を打診されたが、自らの意志で立ち上がった。

 「チーム状態も連敗中でしたし、なんとかしたい気持ちだけだった。とても痛かったですが、指が動いたのでなんとかなると思った。折れていないと信じて、気持ちでいった」

 6連敗中のチームの中にあって、2005年、10年と2度の日本一を知る主軸打者は気丈に振舞おうとした。自らが率先してマリーンズを何とかしないといけないという強い責任感が激痛を耐えさせ、ギブアップを許さなかった。

 攻撃が終わり、ベンチに戻ったところでドクターストップとなった。無念の途中交代。病院での診断は左尺骨骨折、左橈骨剥離骨折の2カ所の骨折で全治6~8週間という想像以上に重いものだった。指揮官はあの時、交代を断った今江の目からあふれ出ていた闘志が忘れられない。

 「相当、痛かったと思うよ。それでも、オレが『無理をするな。交代した方がいい』と言ったら、強い口調で『いけます』という答えが返ってきた。気持ちがこもっていた。オレはその気持ちが本当にうれしかった。チームのために、闘う姿勢を見せてくれた。アイツは塁に行くことで連敗中だったチーム全体に喝を入れてくれた。ファイティングスピリットを見せてくれた。若手に進む方向を示してくれたように感じる。あの姿勢は忘れられない」

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 今江は戦線を離脱した。しかし、その魂はチームを変えた。7月下旬には7連勝。前へ前へと闘う姿勢を見せ、勝利を重ねた。そんなチームを今江は自宅でテレビ観戦をしていた。プロに入ってから長期離脱は2度目。1度は08年。シーズンも終盤だった。今回はペナントレースがもっとも盛り上がる夏場。なんともいえない複雑な心境だった。

 「08年とまったく同じ辺りを骨折した。それでもあの時とはちょっと時期が違うし、立場も違う。こんな暑い真夏に室内にずっといる。チームは頑張っているのに…。とても、もどかしかった」

 そんな背番号「8」を癒してくれたのは家族の存在だった。少年野球に熱中し、誰よりも父を尊敬する小学4年生になる一人息子と会話を繰り返した。父の骨折をテレビ観戦していたという息子はショックを受け、死球を受けたことに憤りを感じていた。そんな子供を優しくなだめ、会話を繰り返した。時には少年野球を見に行った。思えば、子供の夏休み期間にこれだけ親子の時間をつくれたのは初めてだった。

 「夏休み期間だったということもあり子供と向き合うことが増えました。いろいろな話をした。思えば、いつも遠征やキャンプや行事などで、ほとんど家にいない。これほど親子で向き合えたことはなかったのかもしれない。息子の野球への思いも聞けたし、自分の活躍をどれほど楽しみにしてくれているのかも分かった。クヨクヨしていないで頑張らないといけないと思った。息子は自分の生き方を見ている。背中を見ている。だから、父としても、やるしかない」

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 8月27日。ロッテ浦和球場の室内練習場で久々に生きた球を打った。投手役は、これまでリハビリに付き添ってくれた望月一理学療法士が務めた。丁寧にバットの感触を確かめた。その顔には笑顔が戻っていた。確かな手応えを口にした。

 「この期間で当たり前の事なのだけど、普通に野球をやれることの幸せをあらためて痛感した。やっている時はその重圧や疲れに、つらいとかしんどいとか思う時もあるけど、自分の中心はあらためて野球だと分かった。いろいろな人に支えられてプロ野球選手として野球をやれている幸せ。シーズンは残り少ないけど、チームはとても大事な時期。自分にできる精いっぱいの事をしてチームに貢献をしたい」

 9月5日、2軍で実戦復帰し、長かったリハビリはようやく終わりを迎えた。いつも突っ走り続けていた野球人生の中、少し立ち止まって、いろいろなことを見つめ直した時。それを今は、プラスにとらえる事が出来ている。頼もしい男が、まもなく戻ってくる。背番号「8」が、その闘志で、チームを引っ張る。

 (千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)



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