銚子商を引っ張る宮内竜志。「東千葉は打てないと勝てない」と打力も磨いてきた=銚子市
名門復活へ秘める闘志 銚子商・宮内竜志
「夏は全試合に投げて勝つつもりでいる」と意気込む八千代松陰の清宮虎多朗=八千代市
190センチ右腕、自負胸に 清宮虎多朗 八千代松陰3年
成田主将の田宮裕涼。「伯父さんたちの背番号2を受け継ぎ、最後の夏が100回大会。運命しか感じない」=成田市
受け継いだ背番号「2」 成田・田宮裕涼
打球直撃から復帰した中央学院の大谷拓海。「ぶっつけ本番でも焦りはない」と自信を見せる=我孫子市
試練乗り越え心も成長 中央学院・大谷拓海
銚子商の初優勝を記念する特集記事が掲載された1974年8月20日の千葉日報
打撃職人支えた原点 第56回(74年)選手権優勝 銚子商・篠塚和典
第97回選手権千葉大会決勝の習志野戦で力投する専大松戸の原=2015年7月26日、QVC
投打に柱決めた初V 専大松戸 第97回(15年)選手権出場 原嵩(千葉ロッテ投手)
桐蔭横浜大で主将となった千葉貴央。「木更津総合の後輩は僕のときと同じ3連覇が懸かっていますね。重圧の中で負けない野球ができるのが木総の強さ。僕の分も夢を成し遂げてほしい」=横浜市
志願の先発 悔いはなし 第94回(12年)、第95回(13年)選手権出場 木更津総合 千葉貴央(桐蔭横浜大)
現在は会社員の中川諒。「黎明に勝った18歳の誕生日は一生忘れない」=神奈川県内
不屈エース気迫の連投 第92回(10年)選手権出場 成田・中川諒
千葉大会決勝で拓大紅陵を破って悲願の甲子園初出場を決め、優勝旗を手に行進する成東・行木=1989年7月31日、県野球場
“悲運”の歴史にピリオド 第71回(89年)選手権出場 成東・行木泰弘
第74回選手権千葉大会決勝の拓大紅陵戦に先発し、力投する二松学舎沼南の飯塚=1992年7月27日、マリン
「二松」で燃やした青春 第74回(92年)選手権千葉大会準優勝 二松学舎沼南・飯塚智広(NTT東日本監督)
八千代東の初優勝を報じる2009年7月27日の千葉日報
“普通”の県立執念実る 第91回(09年)選手権出場 八千代東・片岡祐司(印旛明誠高監督)
沼南の西千葉大会準優勝を報じる2008年7月27日の千葉日報
吹き荒れた「沼南の風」 第90回(08年)西千葉大会準優勝 沼南
千葉経大付の甲子園8強入りを報じる2004年8月18日の千葉日報
追い続けた父の野球 第86回(04年)選手権出場 千葉経大付・松本啓二朗(新日鐵住金かずさマジック)
第55回全国高校選手権の2回戦で江川を擁する作新学院(栃木)に勝利した銚子商を報じる1973年8月17日の千葉日報
大雨の聖地“怪物”に雪辱 第55回(73年)選手権出場 銚子商・岩井美樹(国際武道大監督)
第80回選手権東千葉大会の決勝・成田戦で力投する八千代松陰の多田野=1998年7月29日、千葉マリン
東千葉制した絶対エース 第80回(98年)選手権出場 八千代松陰・多田野数人(日本ハムスカウト)
拓大紅陵―東海大浦安 夏の甲子園初出場が決まり喜ぶ拓大紅陵の古橋(左)と鈴木=1984年7月29日、県野球場
切り開いた名門の「一歩」 第66回(84年)選手権出場 拓大紅陵・古橋富洋(敬愛学園高監督)
千葉日大一―東海大浦安 木佐貫の安打でサヨナラのホームを踏む東海大浦安の森下。捕手川上=1982年7月28日、千葉寺
「18年」の運命に導かれて 第64回(82年)選手権出場 東海大浦安・森下倫明(東海大浦安高監督)
銚子西の甲子園初出場を報じる1981年7月29日の千葉日報
創部5年西の新風 第63回(81年)選手権出場 銚子西・越川恭伸(匝瑳高監督)
習志野・谷沢の活躍を報じる1965年7月28日の千葉日報
逃した夢、培った打の神髄 第47回県大会(1965年)出場選手 習志野・谷沢健一
木樽を超高校級と報じる1965年8月13日の千葉日報。「生まれ変わったら銚子商から早大に進学して野球をやりたい」
初の決勝つくった礎 第47回(1965年)準優勝投手 銚子商・木樽正明
最終電車が来るまで練習し続けたのは「男の意地」と話す石毛宏典=東京都内
「お山」躍進銚子決戦 第56回(74年)千葉県大会準優勝 市銚子・石毛宏典
南関東大会で優勝し肩を組む千葉一の植草(右)と捕手織戸。植草の手には最優秀選手賞が握られている=1953年8月3日、大宮県営球場(本人提供)
長嶋としのぎ削り頂点 第35回(53年)出場投手 千葉一・植草光長