2022年8月20日 05:00 | 有料記事
千葉空襲で被災し、秋田県へ避難した時の経験を語る千葉さん=千葉市中央区
7歳だった1945年7月7日、千葉市の中心市街地が攻撃された千葉空襲(七夕空襲)で被災。空襲で焼け野原になった千葉市から、母と幼い弟と妹と共に親戚を頼り秋田県へ避難した。ロシアのウクライナ侵攻を受け、国外へ避難を余儀なくされるウクライナの家族を見ると、当時の自分たちに重なる。「もうこんな悲しい思いをする人が、これ以上増えてはいけない。平和とは何か、いま一度考えてみてほしい」と訴える。
日中戦争が始まった37年に、千葉神社(千葉市中央区)近くで生まれた。物心つく頃には、世間は戦争一色。院内国民学校に入学した44年には戦況は悪化の一途をたどっており、授業中には頻繁に空襲警報のサイレンが鳴った。
忘れもしない7月7日の夜。空襲警報で起こされ、母と5歳の弟、まだ1歳にならない妹の4人で近隣の田んぼに避難することになった。道路は逃げ惑う人であふれ、住宅や学校が真っ赤に燃えていた。路上には焼夷(しょうい)弾でなくなった人が黒い影のように横たわっていて、それをまたぐようにして火の手から逃れた。妹を背負った母の手を弟と一緒にしっかり握って「とにかく必死に逃げた」 ・・・
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