石敷き欠落「槻の木」跡か、奈良 大化の改新、出会いの場

「槻の木の広場」があったとされる飛鳥寺西方遺跡=2013年、奈良県明日香村(同村教育委員会提供)

 大化の改新(7世紀)の前に中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻(ケヤキ)の木の広場」があったとされる飛鳥寺西方遺跡(奈良県明日香村)の発掘を継続してきた村教育委員会は、広場に施された石敷きの欠落部分に「槻の木」があった可能性があるとの見解をまとめ、このほど刊行した発掘報告書に掲載した。

 日本書紀によると、広場には槻の木があり、その下で蹴鞠中に皇子と鎌足が出会ったとされ、翌年に蘇我氏が滅ぼされた乙巳の変(645年)が起きた。

 遺跡は飛鳥寺の西側にあり、南北200メートル、東西140メートル。一部でこぶし大から直径約20センチの石が敷き詰められている。


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