「原爆乙女」山岡ミチコさん死去 訴え続けた平和 

2004年10月、修学旅行で広島を訪れた小学生に被爆体験を話す山岡ミチコさん=広島市中区

 広島で被爆、渡米してやけどの治療を受けた「原爆乙女」の一人で、被爆証言者として平和の尊さを訴え続けた山岡ミチコ(やまおか・みちこ)さんが2日午後10時1分、肺炎のため広島市中区の介護施設で死去していたことが3日、分かった。82歳。広島市出身。自宅は広島市中区西平塚町4の28。葬儀・告別式は4日正午から広島市南区大州5の3の22、平安祭典広島東会館で。喪主は義妹ナリ子(なりこ)さん。

 学徒動員に向かう途中、爆心地から約800メートルで被爆。顔や手に重いやけどを負った。1955年、米国の作家、故ノーマン・カズンズ氏らの招きで渡米し、ケロイドの手術を受けた。


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