華やかに第2の開港 「北延伸」で「暫定」脱却 平行滑走路を巡る決断 【ナリタ30年 地域と空港】

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 成田空港の二本目の滑走路となる平行滑走路は空港反対運動で一部の用地買収ができず、北側に約八百メートルずらして本来計画の二千五百メートルより短い二千百八十メートルで整備、「暫定」の“冠”をかぶることになった。

 二〇〇二年四月十七日、完成した暫定滑走路上での記念式典に扇千景・国交相(当時)、堂本暁子知事らが出席。祝賀会には約千人が集い、「第二の開港」は華やかな空気に包まれた。ジャンボ機の発着ができない制約がありながらも成田空港の年間発着回数は十三万五千回から二十万回へ増加した。

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 一九八六年、成田―グアム線の週四便で国際線にデビューした全日空。暫定滑走路の供用により週間便数は八十九から百四十四へ急増した。増便は中国、アジアが中心で、同社の成田便に占めるアジア便の比率は26%、中国便32%と供用前に比べて9~13ポイント伸びた。

 これらの地域で航空需要が伸びると予想し、短い滑走路を活用するため知恵を絞った側面もあった。国際線の増便分を年間発着回数に換算すると一万五千~六千回に相当する。運航ダイヤなどの計画立案にかかわった柴田紀之企画室企画部主席部員(38)は「暫定平行滑走路の供用は、全日空の国際線伸長にとって大きな出来事だった」と語る。

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 一方、本来計画用地の成田市東峰地区の住民にとっては、頭上を低空で飛ぶ航空機の爆音にさらされる日々の始まりでもあり、反発は続いた。

 二〇〇五年一月、国交省は暫定滑走路を北側に三百二十メートル延伸して二千五百メートル化する北延伸整備の検討を成田空港会社に指示。これを回避したい同社は四月以降、東峰地区の空港反対地権者の一部と話し合ったが、用地交渉は進展しなかった。七月、北側一雄・国交相を訪れた黒野匡彦社長(66)=肩書はいずれも当時=は「北側への延伸はやむを得ない」と報告。北側大臣は八月、北延伸案による整備を同社に指示した。

 黒野氏は「四回の話し合いは、お互いが率直に主張を出し合う実りあるものだったが、さらに回を重ねても互いの溝が埋まり、本来計画に向かう光明が生まれるとの自信はなかった」と苦渋の決断をした胸のうちを明かした。

 北延伸工事は一〇年三月末までの供用を目指して進む。あと二年ほどで平行滑走路から「暫定」の文字が外れる。