代替地で協力、人口増 「騒音下」立場に配慮も 空港と歩む・富里市 【ナリタ30年 地域と空港】

  • LINEで送る

 一九六三年九月十二日、羽田空港に代わる新しい国際空港の建設候補地として、名前が上がった富里村(当時)。十月一日には「富里村空港設置反対期成同盟」が誕生。賛成派も「富里村空港誘致促進同盟」を組織し村内は空港をめぐって二分された。反対運動の激化により富里空港は断念されたが、建設地は隣接する成田市三里塚となり、六六年七月、閣議決定された。

          ※            ※            ※

 三里塚への空港建設決定により富里は代替地を提供する側となり、六六年から七三年にかけて県が確保した代替地は約三百九ヘクタールに及んだ。これは成田市、芝山町、山武市、八街市に用意された土地の中で最大規模だった、という。相川堅治・富里市長(68)は「空港が三里塚に決まったことで、(富里空港の)賛成派が代替地を提供しようとする動きがあり県に協力した。県の畜産試験場が代替地に決まっていたこともあろう」と指摘し、反対派にも提供者はいたという。

 これらの代替地は空港用地や騒音下の住民用などで、成田市や芝山町、多古町から二百五十三世帯(九六年時点)が移ってきた。

          ※            ※            ※

 成田空港建設に伴う東関東自動車道富里インターチェンジ開設をきっかけに、七四年ごろの村内では、大小合わせて二百カ所以上の住宅地造成が行われ、一万区画を超す宅地が生まれたと言われる。

 こうした宅地は、空港関連や首都圏の住宅需要の受け皿となった。これを裏付けるように、七〇年に一万二千百十六人だった人口は七五年には一万四千八百五十二人に、八〇年には二万三千三百十五人を数えた。七五年と八〇年の増加率は57%にも達した。その後、ペースは落ちながらも伸びは続き、八五年三万三千二百九十一人、九五年四万八千六百六十六人、二〇〇〇年五万百七十六人、〇二年には市制施行した。

 合併を伴わない発展は空港の恩恵。相川市長は「空港のおかげでここまで大きくなった。道路問題などの悩みはあるが、騒音地区から比べれば、富里は良く見えるし実際に良くもなっている。だから、騒音地区を抱える地域の発言は尊重しなければならない」と過去の経緯を踏まえ話した。