気さくな人柄惜しむ声 「東京五輪まで頑張ると…」 小出義雄さん死去

第37回全国高校駅伝大会で初優勝し、選手に胴上げされる小出義雄さん=1986年12月21日、京都府の西京極陸上競技場(船橋市提供)
第37回全国高校駅伝大会で初優勝し、選手に胴上げされる小出義雄さん=1986年12月21日、京都府の西京極陸上競技場(船橋市提供)

 佐倉市出身で数々の陸上長距離ランナーを指導した小出義雄さん(80)が24日、亡くなった。同市に設立した佐倉アスリート倶楽部で五輪選手ら一流選手を育成する一方で、各地のマラソン大会に顔を出して県民とふれ合うなど気さくな人柄で、「小出監督」と呼ばれ親しまれた。教え子や知人からは「東京五輪まで頑張ると話していたのに…」と、名伯楽の死を惜しむ声が上がった。

 幼い頃から付き合いがあった小出さんの自宅近くに住む小出昇さん(67)は、調理師としての腕を買われ約10年間、同倶楽部で選手たちの食事作りに携わった。「選手には高タンパク低カロリーのものを」と注文されたという。「一緒にアメリカ合宿も行った。彼の周りにはいつも人が集まっていた」と懐かしんだ。

 小出義雄さんが東京マラソンの構想を東京都に提案する際には、都庁まで車で送り届けた。「ニューヨークでできて、東京でできないことはない。地方からいろいろな人が集まったらすごいことになる」と、目を輝かせていた姿が忘れられないという。

 毎日のように電話で話し「体調が良くなったら伊勢エビとアワビ食べに行こうと話していた」と振り返り、「兄貴のような存在だった。何より本人が東京五輪まで頑張ると話していたので無念だと思う。さびしくなる」と涙を浮かべた。

 小出さんと同じ小学校と高校に通った幼なじみの男性(80)は3月中旬、小出さんが自宅近くを歩く姿を見ていた。「よくお酒を一緒に飲んだ。急に亡くなるなんて。『東京五輪までは』と話していたので残念」と声を落とした。

 社会人を指導する前は、高校教諭だった小出さん。教え子たちは当時を懐かしんだ。

 小出さんの初任地だった県立長生高校(茂原市)で指導を受けた長柄町の清田勝利町長(72)は「当時は生徒と年齢が10歳も違わず、私たちの兄貴のような人で『あんちゃん』と呼んでいた」と振り返った。

 清田町長も元教諭で、小出さんから「生徒に夢を持たせられる教師になってほしいと声を掛けられた」と懐かしんだ。

 昨年12月に小出さんが入退院を繰り返していることを聞き「ずっと心配していた。もう一度、先生の冗談を聞きながら茂原で一緒にお酒を飲みたかった」と声を詰まらせた。


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