小枝守氏が死去 67歳、夏の甲子園準V 拓大紅陵高・元野球部監督

 拓大紅陵高校(木更津市)の野球部監督として、春夏通算9回の甲子園出場を果たした小枝守(こえだ・まもる)氏が21日午前9時7分、肝細胞がんのため東京都内の病院で死去した。67歳。東京都出身。通夜は27日午後6時から、葬儀・告別式は28日午前9時30分から、いずれも東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で。喪主は妻の弥生(やよい)さん。

 日大三高、日大を経て1976年に日大三高の監督に就任し、79年に夏の甲子園に出場。81年から拓大紅陵高で指揮を執り、2014年に勇退するまで春4回、夏5回甲子園に導いた。1992年の夏の甲子園では本県勢で17年ぶりとなる決勝進出を果たし、準優勝した。2016~17年には18歳以下の野球日本代表監督を務めアジア選手権で優勝、ワールドカップ3位の成績を残した。

◆指導の柱は「人間形成」 情熱尽きぬ改革者 【追悼・小枝守さん】

 高校野球取材で、何度お世話になっただろう。県内球児だった記者には雲の上の存在だったが、取材依頼は毎回快諾。記事掲載後には必ず丁寧な電話をいただいた。40歳も年齢が離れていたが、球場でお目に掛かるたび気さくに声掛けしていただいた ・・・

【残り 1383文字、写真 1 枚】



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