9カ月前に急きょ決定 手作りのもてなし好評 千葉県内開催だったクロカン 【ちば聖火のバトン 1964年から2020年へ】(2)

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1964年10月15日、クロスカントリーのスタート地点となった千葉市の東大検見川総合運動場(千葉市提供)。現在も同競技のコースとして使われている
1964年のクロカン競技後の歓迎会で選手らに配られた大賀ハスの絵はがき(上)と、高校生の英文メッセージ付き封筒(千葉市郷土博物館提供)
五輪9カ月前の県内への会場変更を報じる当時の千葉日報紙面

 2020年の東京五輪・パラリンピックで8競技を開催する千葉県。実は1964年東京五輪でも県内で行った競技があった。5種目に挑み総合得点を競う「近代五種」のクロスカントリー(野外走)だ。当初の都内開催が千葉市内に急きょ変更。本番が9カ月後に迫る時期だったが、会場や周辺道路の整備を急ピッチで進め、手作りの「おもてなし」も好評だったという。

◆都内から変更

 変更先の会場は千葉市浪花町(現花見川区)の東京大学検見川総合運動場。当時の千葉日報紙面や県・千葉市に残る資料によると、当初は都内世田谷区のゴルフ場で実施予定だったが、国際競技団体が同運動場を「広くて起伏も多く、より適している」と評価して変更を強く求めた。大会実行委員会は、同運動場が都内の選手村から遠く、移動に片道1時間以上かかると難色を示したが、最終的に競技団体の意向を優先した。

 1964年1月、千葉市は当時の宮内三朗市長が「全市民が心から各国選手を迎えたい」と歓迎の意向を表明。選手のバス移動に配慮して会場と国道を結ぶ市道を舗装、花壇を設けて美観にも気を配った。参加選手から完成度の高さに驚きの声が上がるほどだった。

 競技前日の10月14日には開会式会場の東京・国立競技場から聖火を分火するリレーも実施。同市千葉寺町にあった県営競技場から市内の中高生9人が走ってつなぎ、翌15日に同運動場の一角に用意された聖火台に点火した。

 聖火を一晩保管した市立花園中学校では住民ら約2千人が「歓迎の夕べ」を開いて盛り上げ。国立競技場から県営競技場までは聖火を自衛隊のヘリコプターで“護送”する計画もあったが、悪天候のため車に切り替えたという。

◆満員のスタンド

 競技当日は15カ国の30選手が参加。水泳や馬術などの4種目を経て、メダリストが決まる最終種目だったこともあり、開始30分前の午後1時半ごろには3500人収容のスタンドが満員。会場が見える沿道にも小中学生らが集まり、総勢約6千人が観戦した。7位に入った船橋市在住の福留義秀選手への応援だけでなく、各国の選手に分け隔てなく声援を送る子どもたちに対し、外国人観戦客が「サンキュー」と感謝する交流も生まれた。

 競技後は千葉市内の県体育館で選手らを招いた歓迎会が開かれ、県と市が浴衣などをプレゼント。同運動場で古代の大賀ハスの種が発見されたことを踏まえ、同ハスの種や写真付きはがきも贈った。地元の高校生は英文のメッセージを添えて喜ばせた。

 2020年大会でも、当初県内で競技の開催予定はなかったが、千葉市美浜区の幕張メッセが7競技の会場に決定。追加の初競技サーフィンは一宮町の釣ケ崎海岸が舞台になる。

 千葉市郷土博物館で市史編さんを担当している土屋雅人さん(38)は「54年前は大賀ハスを使い、千葉らしいおもてなしをした。何ができるかみんなで考える必要がある」。一宮町の担当者も、選手が都内に宿泊する見通しで、歓迎行事に時間的制約があるとしつつも「一宮を知ってもらうためにできることをやりたい」と意欲をみせた。