がん乗り越えて独立 職人の道へ生死の境であふれた思い 八街のあめ細工師・込田匡美さん(39) 【地方発ワイド】

あめ細工を手にする込田さん=佐倉市
あめ細工を手にする込田さん=佐倉市
出店には多彩なあめ細工が並び、目を輝かせた子どもたちが集まってくる
出店には多彩なあめ細工が並び、目を輝かせた子どもたちが集まってくる

 「あめ細工、やりたい」。生死の境に立ったとき、それまで決して口にすることのなかった言葉があふれた。八街市のあめ細工職人、込田匡美さん(39)は、がんの発症と再発を乗り越え、日本の伝統菓子の魅力を発信し続けている。数少ない女性職人の道へと彼女を駆り立てたものとは-。

(佐倉支局・平口亜土)

 1998年の千葉三越。コーヒー店に勤めていた19歳の込田さんは、催事に来ていたあめ細工師の仕事に目がくぎ付けになった。

 あめ細工を見るのは、神社の祭りで見た小学生の頃以来。当時のワクワクがよみがえった。社員食堂で休憩中の職人を“ガン見”していたら、気付かれて、「仕事が終わったら見に来なよ」と声を掛けられた。

 作業を間近で眺め、衝撃を受けた。「魔法みたい」。ただのあめの塊が握りばさみと指だけで、命が吹き込まれるように生き物の姿に変わっていく-。

◆追っかけから弟子へ

 そこから、職人の「追っかけ」が始まった。職人の名は東京都練馬区の西澤陽一郎さん(75)。休日、西澤さんが出店する東京や埼玉のイベントに駆け付けた。子どもの頃、絶対に近づけない憧れの存在だった職人と触れ合えるのが、単純にうれしかった。

 そのうち、あめを袋に入れたり、お客さんに釣り銭を渡したりと手伝いも始めた。いつしか、追っかけから「師匠と弟子」のような関係になっていた。師匠の技を目で盗み、夜な夜な家であめ細工を練習した。

 28歳の時、地元・八街の産業祭に声が掛かった。事実上のデビュー戦。長い行列ができ、8時間作り通した。大成功だった。

 が、あめ細工を生業にしようとは考えなかった。

 機材搬入や屋台組みなどの下準備に体力のいる、女性には大変な仕事。収入も不安定だ。独立に関する話は西澤さんとも交わしたことがない。「師匠が戸惑うだろうし、趣味として続けていこうと思っていた」

 2カ月後の2008年1月、子宮に4センチのがんが見つかった。半年ほど体調不良が続いていたので、「やっぱりな」と、冷静に受け止めた。

 入院した県がんセンターにお見舞いに訪れた西澤さん。病床に伏す込田さんを元気づけようと提案した。

 「退院したら、どこか行きたいとこあるか」 

 「あめ細工、やりたいです」

 質問への答えにはなっていなかった。が、心から出た思いだった。これからの人生、あめ細工以上にやりたいことはない。

 4月、無事に治療を終えた。「退院祝い」と、西澤さんがくれたのは「あめ細工 こみちゃん」と書かれた提灯(ちょうちん)。「のれん分け」を意味していた。うれしさがこみ上げた。

 こうして、八街や佐倉のイベントに出店するようになった。が、再び不幸が襲う。2年後の定期検診で、がん細胞のリンパ節への転移が見つかった。「大丈夫と思ってたので、今度は焦った」。放射線と抗がん剤治療の副作用の苦しみを乗り越え、復帰を果たした。

◆あめ1本で生きる

 昨年夏、ある大きな決断をした。パートで働きながら休日にあめ細工を作る「二足のわらじ」を履いていたが、あめ1本で生きていくことにしたのだ。

 「大病をしているので、仕事の掛け持ちは体力的に厳しい。悩んだが、あめをやめることはできない」

 緊張しながら西澤さんに相談すると、「やってみてもいいんじゃない」。今度はすんなり背中を押された。「やるっきゃない」。武者震いがした。

 以来、出店ペースを増やし、精力的にあめ作りに励んでいる。

 あめ細工の魅力は何だろう。「はかなさ」だと込田さん。「もったいなくて食べられない、という人もいるけど、食べてしまえばあっという間になくなってしまう」。消える運命を背負った芸術作品。そんな微妙な立ち位置に心引かれる。

 西澤さん直伝の「十二支」の形を大事にしていきたいと考えている。西澤さんも師匠から教わったのだという。

 「人から人に伝わっている形というところが好き。自分もいつか、誰かに伝えていきたい」


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