九十九里一帯に30超 元禄津波の慰霊碑 【おもしろ半島ちばの地理再発見 千葉地理学会連載】

茂原市鷲山寺の慰霊碑
茂原市鷲山寺の慰霊碑
大位牌が残されている長生村本興寺の慰霊碑
大位牌が残されている長生村本興寺の慰霊碑

 東日本大震災から4年半をすぎても、復興はまだその途上と言わねばなりません。県内でも旭市を中心に大きな被害を被りました。その地震の規模は、貞観大地震(869年)以来の1000年に一度のものとも言われましたが、千葉県を襲った大地震や大津波は、その間に何度もありました。

 近世では、1604(慶長9)年、1677(延宝5)年、1703(元禄16)年、1854(安政元)年、そして1923(大正12)年の関東大震災などです。

 中でも1703年11月23日深夜2時頃に発生した元禄の大地震はマグニチュード8前後で、それに伴う大津波は高さ5~10メートルにも達し、房総半島沿岸一帯に甚大な被害をもたらしました。

 特に九十九里から外房の村々では、この津波で多くの死者を出しました。これは伊豆大島近海と言われるこの地震の震源の位置と九十九里浜の地形との関係や、発生が真冬の深夜であったことなどによると考えられます。地震被害と合わせると、房総の死者は6千名以上という記録もあります。

 茂原市の鷲山寺に、この津波の大きな供養碑があります。側面には二千百五十余人死亡とあります。台座には村々の死者数が刻まれていますが、今では判読が困難です。鷲山寺は法華宗大本山であり、九十九里一帯には日蓮宗宗徒が多く、その人々を供養するために五十一回忌の年に建てられたものです。

 この大きな碑の他にも、被害を受けた各地に多くの供養碑が残されています。その範囲は、山武市蓮沼から九十九里一帯、さらには鴨川市、南房総市、内房の鋸南町まで、その数は30を超えます。

 それらの中で最も北にあるのが、山武市蓮沼の蓮花寺にある「千人塚」です。碑は寺の裏手の標高3メートルほどの丘の上にあります。この高さが人々を救ったのかもしれません。山武市本須賀には「百人塚」と刻まれた石碑と供養塔が畑の中に立てられています。銘文には、この地区の溺死者は96人とあります。

 さらに南の地域にも、多くの慰霊碑が残されています。大網白里市北今泉の等覚寺寺外墓地の63人を慰霊する碑、白子町安住寺共同墓地の270余人を慰霊する「津波代様」、長生村一松の本興寺の2基の石碑とおよそ700名の戒名がある大位牌などです。

 本興寺本堂内の大位牌に残されている戒名を見ると二文字のものが多く、女性や子どもが多く犠牲になったと考えられます。本興寺では今でも毎日の勤行の中で追善供養を行っているというお話を伺いました。

 九十九里一帯の慰霊碑は津波被害後の各年忌に立てられたものが多く、その位置は津波到達地点を記す意味も持っていたとも考えられます。

 元禄地震は今から300年以上も昔のことですが、地球の歴史から見ればわずかでしかありません。慰霊碑だけでなく、口伝を含めて現代の私たちに残されている教訓はたくさんあると思います。(埼玉大・敬愛大非常勤講師 鎌田正男)


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