


「千葉日報ニュースβ」8月号キャスターとして、伝説のミュージシャン「JAGUAR(ジャガー)」さんが粛々とカメのニュース原稿を読み上げた、あの“事件”から約1カ月。ネットを中心に「まだ現役だったのか!」「この番組は一体…」「懐かしい」「レギュラー出演を!」といった反響が依然として広がり続けている。
ところで、そもそもジャガーさんとはいかなる人物なのか? 多くの読者が抱えているだろう素朴な疑問にお答えしようと、今回「ちばとぴ」編集部は“生ける伝説”の実像に迫るべく、再び市川市の“ジャガー城”ことジャガースタジオを直撃し、単独ロングインタビューを敢行した。
ジャガー星から宇宙船で地球に降り立ったという“経歴”の誕生秘話や、千葉テレビの放送枠を買い取って音楽番組を放映し続けたバブル時代、さらにはビッグネームのミュージシャンたちが若かりし頃にジャガーさんの下で働いていたという逸話の真相など、深紅の衣装に身を包んだジャガーさんは、独特のハスキーボイスと穏やかな語り口で、臆さずに自らを語ってくれた。(聞き手・藤代かおる)
★青春は千葉の海
―「ジャガー星」出身と自称されているので、非常に聞きにくい部分なのですが…、地球での「世を忍ぶ仮の姿」の半生について教えていだだけますか?
「はい、いいですよ(即答)。出身は、ジャガー星の千葉ってことにしましょうか。いや、生まれは東京で、育ちが千葉。以来、ずっと千葉ですね」
―ジャガーさんが青春時代を過ごしたのはどの地域なんでしょうか。
「千葉県内ですよね。千葉市、木更津市、海の思い出が結構ありますね。館山、富津とか」
―歌詞にも千葉の海がたくさん登場しますよね。でもジャガーさんが海水浴、といってもあまりイメージ湧きませんが。
「海は好きですね。今も休日にはよく行きますよ」
―以前、お父様が千葉日報に掲載されたことがあったとうかがいました。
「うちの父がよく、千葉日報に記事が出たと言っていましたよ。父は学校の美術の先生で、教育関係の記事を掲載してもらっていたようです。うち、購読してましたよ、千葉日報」
―ありがとうございます!! そんな仮の半生を千葉で過ごされていたジャガーさんですが、ジャガー星から宇宙船ジャガー号に乗ってやってきた、という“経歴”については…。
「あれはね、25年くらい前に『宝島』という雑誌でみうらじゅんと対談した時に、話が盛り上がっちゃってね。まぁ失われし記憶が甦ったというところかな(笑)。みうらじゅんが『ジャガー号ってどんな形ですか』ってまじめな顔で聞くから、僕がその場で絵を描いて説明したんです」
★仮の姿は実業家
―その頃(約25年前)には、すでにご商売(洋服直しチェーン店)が軌道に乗っていた、と。これは一代で築き上げたということですか?
「そうですね。その10年くらい前に起業しました。ずっとバンドと並行してやっていましたよ。録音はずっと続けていたし、機材も時代ごとに大がかりになっていきましたから」
―ビジネスにも関心を持たれていたんですね。
「音楽だけじゃ食っていけないし」
―メーンは洋服直しのお店で?
「そうです。でも、他にもいろいろやりましたよ、あの頃は看板製作業、喫茶レストラン、美容室…でもそれは全部辞めちゃいましたね」
―その後、洋服直しのお店に集約していった。
「そうですね」
―もともと商才があったということでしょうか。
「そうかもしれないですね。時代も良かったです、バブルの前だから、ちょうど物価も上がるけど売上げも商売も、どんどん伸びるような時代。今は違いますけどね。今はもう、どんどん縮小の時代、世の中がね。だから商売は、皆さんやりづらいんじゃないかな」
―結果的に、ビジネスで得た利益を音楽に還元するという、理想的なサイクルを確立されたということですね。
「そうです、そうです」
―そして、千葉で有名になられて、慕ってくる方も増えて。
「そうですね」
<2>に続く