2010年8月1日(日)
2008年06月10日11時29分[県東エリア]
金比羅山(勢力山)にある勢力富五郎の碑。現在、訪れる人は少ないという(上)、福聚寺で開かれた追善法要には約300人が出席した
浪曲や講談などで語られる「天保水滸伝」の勢力富五郎(せいりき・とみごろう)の百六十回忌追善法要が八日、東庄町小南の福聚寺で開かれた。町内外から約三百人が出席し、「笹川繁蔵の一の子分」として知られた富五郎をしのんだ。
一八四四(天保十五)年の「大利根河原の決闘」で有名な「天保水滸伝」は、繁蔵と飯岡助五郎の抗争を描いた物語で、映画や歌舞伎などで演じられてきた。
富五郎は萬歳村(現・旭市)出身。繁蔵と同じように江戸相撲の力士として活躍していたこともあり、勢力富五郎というのはその時のしこ名。本名は佐助。
一八四七(弘化四)年に飯岡方に繁蔵が殺されると、富五郎は笹川一家を率いたが、幕府の十手持ちでもあった助五郎らに追われる。一八四九(嘉永二)年四月二十八日、富五郎は子分の栄助と小南村の福聚寺近くの金比羅山(勢力山)に立てこもるが、最後は自害する。二十八歳だったとされる。富五郎は故郷の地蔵院に葬られた。
こんな富五郎をしのぶとともに、「天保水滸伝」の登場人物の功績を後世に伝えようと、東庄町の有志が中心となり法要の実行委員会(勝野暢一委員長)を立ち上げ準備を進めてきた。当日は法要だけでなく記念講演なども行われ、幕末の混乱期にあった当時の時代背景について考えた。
実行委副委員長で富五郎の生家近くに住む柴田小左衛門さん(75)は「今回の法要がきっかけで天保水滸伝や富五郎が注目され、東庄と旭の地域活性化につながれば幸い」と話している。
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