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山内惠介、下積み時代の苦悩と35歳を迎えての決意

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17歳でデビュー、今年で35歳を迎えた山内惠介 10月10日にはベストアルバム『The BEST 18singles(ザ・ベストオハコシングルス)』を発売する

 最新曲「さらせ冬の嵐」が好調で4年連続のNHK『紅白歌合戦』出場も期待される歌手・山内惠介が、これまでの全シングル表題曲を収録したベストアルバム『The BEST 18singles(ザ・ベストオハコシングルス)』を10月10日にリリースする。今やすっかり人気歌手の1人となり、“演歌界の貴公子”の異名も持つ山内。しかし、17歳でシングル「霧情」(01年4月)でデビューして、すぐに芽が出たわけではなかった。下積み時代に山内を支えた出会い、出来事とは。

【写真】演歌界の貴公子! 王子風衣装で熱唱する山内惠介

◆「風蓮湖」が初のロングヒット、同曲舞台の北海道は“第2のふるさと”

──ベストアルバム『The BEST 18singles』の曲順がとても興味深いなと思いました。1曲目となる最新曲「さらせ冬の嵐」からラストに収録されているデビュー曲「霧情」まで、山内さんの18年の活動を振り返る構成になっているんですね。
【山内】 ええ。あっという間のようで、やっぱり18年って長いですね。自分でも1曲1曲聴きながら、あんなこともあったな、こんなこともあったなといろんな思い出が蘇ってきました。

──昨年末で3年連続『紅白歌合戦』出場を果たし、近年の楽曲は多くの人に届いています。一方で紅白以降にファンになった方に、聴いてもらいたい1曲をあげていただくとしたら?
【山内】 やっぱり、「風蓮湖」(09年9月23日発売)でしょうね。僕は福岡出身なんですけど、北海道を舞台にした楽曲を何曲か歌わせていただいていて、これがその最初の曲だったんです。レコーディングの前には実際に風蓮湖にも足を運びました。その土地で暮らす方々とも触れ合って、「この歌を歌ったら誰が一番喜んでくれるか」ということを初めて実感した曲でもあったんですよね。

──9thシングル「風蓮湖」は50週以上にわたってシングルランキングにチャートイン、山内さんにとっての初のロングヒット曲となりました。しかし、デビュー当初は、しばらく芽が出ない時期もありました。
【山内】 そうですね。うまくいっていない時というのは故郷には帰りづらいもので、その頃は家族との連絡も断っていました。だからこそ、自分の生まれ育った土地とは風土も気候もまったく違う北海道という土地に降り立った時は、また新しくゼロからスタートしようという気持ちになれたんですよね。そのきっかけを作ってくださったのが、初めていただいた冠番組の『山内惠介の歌一本勝負』(STVラジオ/04年~現在)で、「風蓮湖」も北海道の皆さんへのご恩返しの思いを込めた曲だったんです。

◆「歌手の自覚を持て」恩師・水森英夫氏の言葉

──17歳という若さでデビューして、なかなか芽が出ない。故郷に帰りたいと心が折れたことはなかったですか?
【山内】 デビュー当初は忙しくて、それどころではなかったんですよ。やはり1年目、2年目は勝負どきなので、キャンペーンなどでそれなりにスケジュールが埋まるんです。だけど3年、4年と結果が出ないと、だんだん歌える場所も減ってきて。その頃が一番辛かったですね。恩師の水森(英夫)先生にも「(故郷に)帰ったほうがいいんでしょうか」と相談したこともありました。

──その時、水森先生は?
【山内】 「今は耐えろ」とおっしゃいました。「覚悟して歌手になったなら、そう簡単に普通の生活に戻ろうなんて思うな」とも。考えてみればそうですよね。僕は高校生でデビューしているので、アルバイトもしたことがないんですよ。バイトしたいなと思ったこともあったんですけど、オシャレなスターバックスとかでね(笑)。ですが、「歌手の自覚を持て」と水森先生が許してくださらなかったんです。

──歌うステージが少なかった日々は、どのように過ごされていたんですか?
【山内】 レッスンもしていましたけど、夜の公園で歌ったり、よく1人でカラオケに行ったりもしてましたね。いつかスポットライトを浴びて歌う日が来ることを信じて。でもそうやって歌に集中するなかで、やっぱり自分は“歌が好きなんだ”と再確認することもできたんです。今ふり返っても、あの時の水森先生のご指導は正しかったと思います。

──下積み生活のなかで、心の支えになっていたものを教えていただけますか?
【山内】 やはり1年に1枚、新曲を出せているという事実は、自分にとっての大きな糧でしたね。シングルを1枚出すには大勢の方の労力が必要で、そう簡単なことではありません。しかもこちらは1曲もヒットがない歌手なわけで、それでも水森先生は毎年必ず新曲を書いてくださった。そのことによって「自分は歌手なんだ」という実感も保ってこられたんです。デビュー18年目のこの年に、シングル表題曲18曲を収録したその名も“オハコ”というベストアルバムを出させていただくのは、僕にとって非常に大きな意味があることなんです。

◆“演歌界の貴公子”優美な佇まいの秘密はプライベートにあり!?

──かつて「歌う場所がなかった」のが不思議なくらい、現在は精力的にコンサートを展開されています。年間を通して全国を回っていて、プライベートはどのようにお過ごしなのでしょうか。
【山内】 大切な人たちとご飯を食べたり、お酒を飲んだり、そういう時間は大切ですね。1人で過ごす時といえば、耳鼻咽喉科で耳と喉のケアをしたり……。

──それはプライベートというよりも、歌手としてのメンテナンスじゃないですか(笑)
【山内】 あっ、そうか(笑)。でもこれが意外とリラックスにもなっていて。あとリラックスタイムと言えば、2週間に1回ネイルサロンで、爪の先を削って磨いていただくのがここ5、6年の習慣になっていますね。

──爪の先まで美しい! 貴公子と呼ばれる佇まいの秘密はそこにあったんですね。
【山内】 (笑)。いや、僕はたまにウクレレを弾くので、爪が短いほうが良い音が出るんですよ。あとコンサート後などにお客様と握手をする機会も多いので、お相手の手を傷つけないためにも整えておきたいんですよね。

──また旅行がお好きとのことですが、プライベートではなかなか実現できないのではないですか?
【山内】 その分、コンサートで全国いろいろな土地に行かせていただいていますからね。また歌い手にとって、“その町”に直接伺うのはとても大切なことなんです。だいたいコンサートの前日に訪れて、その土地でご飯を食べたりしますよね。そうするとその町で暮らす方たちの顔が見えてきて、「自分はこの人たちに歌を届けるんだ」という実感も湧いてくるんです。それこそ、(ロングヒット曲となった)9thシングル「風蓮湖」を歌う時に感じたように。東京で活動しているだけでは、わからないことってたくさんあるんです。

◆現在35歳、コンサートでは演歌・歌謡以外の楽曲にも挑戦

──近年はセルフプロデュースによる全国ツアー『熱唱ライブ』も恒例となりました。こちらのライブでは演歌・歌謡曲に限らず、意外なカバー曲も多数披露されていますが、どのような視点で選曲されているんでしょうか。
【山内】 自分の根底に流れているのは演歌・歌謡曲。それは間違いないのですが、演歌というのは大人の世界を歌った歌詞が多いんですね。なかには35歳の自分には、まだ背伸びしている感覚の歌詞もある。だけど演歌というのは、読んで字のごとく“演じる歌”。ですから歌い手の表現力次第で、年齢も性別も関係なく実感を持って歌える懐の深さがあると思うんです。ただ一方で、“歌手”という肩書きを取り払った35歳の自分が“等身大”で歌える歌にも挑戦したいと思ったんです。

──今年は西城秀樹さんの「傷だらけのローラ」などを披露されたそうですね。
【山内】 ええ、かつては尾崎豊さんの歌もカバーさせていただいていました。もちろんオリジナルの素晴らしい音源は残されていますが、生の歌唱で歌い継ぐのも現役の歌手としての役割だと思うんです。またそれは裏返せば、自分が亡くなった先に、誰かが歌い継いでくれる歌を1曲でもいいから残したいという思いの表れかもしれない。それが歌い手としての一番の幸せですからね。

──最新曲「さらせ冬の嵐」も好調で、ご自身最大のヒット曲となりそうです。このまま4年連続の紅白出場を果たしそうな勢いですが、意気込みを聞かせていただけますか?
【山内】 僕にとって小さい頃から紅白といえば雪の演出(紙吹雪)が印象的で、「今年は誰が降らせるのかな」と毎年ワクワクしていたんですよね。そんなジンクスもあって、今年の自分のコンサートでは、「さらせ冬の嵐」に合わせて“これでもか!”という量の雪を降らせているんです(笑)。またそれが自分に「頑張ったね」と言ってくれているみたいで嬉しいんですよ。今年もコンサートがまだまだたくさんありますし、年末に「今年も頑張ったね」と実感できるよう、最後までいいステージを作っていきたいです。

(文/児玉澄子)