歌人の内奥を解放した快楽 「ataraxiaアタラクシア」 岡田敦著(青幻舎・3200円+税)

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 リストカッターたちを写した衝撃作「Iam」(赤々舎)は、第33回木村伊兵衛賞受賞から2年近く経たいまも記憶に鮮明に残る。若者たちの手首に無数に刻まれた傷跡は「生」の中に存在する「死」、「死」の中に存在する「生」を悲痛に叫んでいる。岡田は被写体との間に緊張関係を築きながら、魂の叫びをフィルムに焼き付ける。そんな鋭い観察眼を持った写真家の受賞後第一作だ。

 この本は歌人、伊津野重美との合作。タイトルは古代ギリシャの哲学者エピクロスの思想で、外的なものにとらわれない精神的快楽を意味するといい、岡田はここでは受賞作の外から内ではなく、内から外へと表現手法を変えている。

 歌人の精神世界が広がっていく。長時間露光によって蒼(あお)い海に白い波が雲のごとく渦巻く。神秘的な美しさが底なしの静謐(せいひつ)をたたえている。なぜか既視感を伴った居心地のよさを感じる。蒼い海が母胎に似た安らぎを与えるからだろう。「薄羽をもがれ…」。傷ついた歌人が海に身を委ね、ゆっくりとまどろむ。

 伊津野のつむいだ言葉が、写真の一枚一枚を招き寄せる。岡田がシャッターを切った瞬間に歌人の内宇宙が二次元の像を結ぶ。その映像の大海を遠泳していると、息継ぎするのも忘れるほどの快感に酔う。つまり、結像後が私たち見る側の精神的快楽の出発点となるのだ。

 中盤に生命の輝きがほとばしる。満開に咲き誇るマンジュシャゲ。画面いっぱいに枝を張った大イチョウ。紅と黄が太陽の光を浴びて、命の限りを燃やし尽くす。

 「ほとばしる声波光ほとばしる…」

 風に揺れるススキ野原で、歌人がもろ手を挙げて天空を仰いでいる。現世の苦痛と快楽を乗り越え、命に対して敬虔(けいけん)な祈りの心境を、ハイキー調で表している。岡田の目は常に人の外皮を透過して内奥を見つめ、そして手は時に意図的な技法によって、精神世界を視覚化するのである。(文化部 安原直樹)



写真集の狩人