本の贈り物

■プロフィール
藤原あずみ イラストレーター。1958年長野県安曇野市生まれ。佐倉市在住。主な作品は「野あそびいっぱい 植物編」(萌文社、中山康夫著)、「お話とあそぼう」(一声社、末吉正子著)など。「第18回小さな童話大賞 山本容子賞」、「第9回ミツバチ絵本コンクール佳作」、「第48回千葉文学賞」など受賞。


「リズム」 『もけらもけら』


 絵本講座で使う絵本『もけらもけら』を「おもしろいよ」と娘に差し出した。もう大人なのに、娘は「じゃ、読んで」と言う。絵本は読んでもらうもの、そんな気持ちがどこかに残っているらしい。読み出すと、子どものようなリアクションこそないが、くすくす笑って、「うん、面白いね」と言う。どうやら、講座での受けも良さそうだぞ、と嬉しくなった。

 『もけらもけら』はジャズ・ピアニストの山下洋輔さんが文を書き、モダンアートの元永定正さんが絵を描いている。文字は「もけらもけら」だの「しゃばらしゅびら」だの「ごあら」だの「だぱたどぱた」だのが並んでいるだけ。絵も綺麗だけれど意味不明。頭で理解しようとすれば、変てこな絵本だが、感性で受けとめれば、七色の味がする飴玉みたいに魅力的な本である。何しろ、読み手の方も、その時の気分次第で、イントネーションから間合いから、声の質まで、読む度に違ってしまうのだから。

 それにしても、言葉の持つ力はすごい。改めて深々と頭を下げたくなった。意味のある言葉は、発した瞬間に、たくさんの情報と思いを連れてくる。「犬」と言われたら、形、鳴き声、匂い、手触り、鼻の湿り気や、瞳の色まで思い浮かぶ。昔飼っていた犬の記憶も混じるだろうし、近所の親しい犬のことも思い出す。あの犬は最近年を取ったな、以前はよくじゃれてきたのに、そんなことにまで思いが広がっていく。そこに「茶色い犬」と形容詞がつけば、更に具体的な想像が働くだろう。

 だが、意味のない言葉は違う。「しゃばら」と言われても、具体的には何も浮かんでこない。しかし、「無」ではない。「しゃ」は舌と歯の隙間を縫って出て来る音だ。かすれて耳に心地よい。濁音「ば」がその「しゃ」を小気味よく打ち消す。「ら」は舌の先が前歯の裏を叩き、軽く跳ねる。心の中に色と音が広がる。まるで、体を楽器にして音とリズムが生まれるみたい。さすが、ジャズ・ピアニストが選んだ言葉だと感心する。

 子どもはわけのわからないものが大好きだ。意味を知らなくても、心地よい言葉ならすぐに覚えて、口にする。子どもの頃、「ちちんぷいぷい」というまじない言葉の響きが好きだった。だが、「知仁武勇武勇御代の恩宝」と、春日の局が徳川家光をあやしたのが由来だと知った途端、つまらなくなってしまった。

 幼い頃、息子が、近所の猫に「ねこぶんちゃっちゃっすぴっつすぴっつ」とおかしな名前をつけたり、機嫌のいい時に「ファミリジャジャジャジャジャジャ」と節をつけて歌っていた。どこの家庭にも、こんな意味不明言葉がひとつやふたつ転がっているのではないだろうか。意味のない言葉はやがて、難しい言葉や意味のある言葉に取って代わられて忘れ去られてしまう。だが、その時覚えたリズムは、生き方のスパイスになって、案外心の中に残っている気がする。

 リズムは音だけに備わったものではない。マチスの絵に「ジャズ」と題するシリーズがあって、躍動感のあるシンプルなその絵を見ていると、体が動き出しそうになる。わくわくする。

 枝に吹き出した新芽の並び方や、空に浮かんだ雲の配置、道に転がった石にもリズムを感じることがある。口に含んだ食べ物の味の中にも、リズムは潜んでいる。猫のひげの先に宿る光、壁の引っかき傷……探せばいくらでも見つかりそうだ。波長を合わせれば、楽器なしでも小さな音楽会が開けるかもしれない。

【メモ】「もけらもけら」山下洋輔・文/元永定正・絵/福音館書店

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