台所の明り取りの窓枠に夕顔が絡みついている。葉ばかりで花芽はひとつもない。夏のあまりの暑さに怖気づき、花も咲く術を忘れてしまったのか。去年も、夕顔は忘れた頃に咲いた。白い光を放つ花で、まるで新品の絹の日傘のよう。畳み皺を残したまま闇の中で芳香を放ち、開ききった自分の姿に戸惑っていた。
この夕顔は夜顔とも呼ばれる。干瓢になる夕顔とは異なり、秋に茄子紺の硬い実をつける。干瓢も夜顔も共に夕顔と呼ばれるらしいが、やはり干瓢の花は、どことなく野暮ったい。『源氏物語』の中の夕顔は、香をたきしめた扇の上に載せて差し出され、その美しさを讃えられている。となれば『源氏物語』に出てくる夕顔は、夜顔と呼ばれている花の方ではないかと思うのだが、どうだろう……。
植物と文様の関わりを調べている友人が、我が家の夕顔の無骨な実を見て感嘆した。「紫式部は、夕顔の花のはかなさより、この実の強さを踏まえて『夕顔』の章を書いたのではないかしら」。物の怪に憑かれる夕顔の君に強さを感じたことはなかったから、友人の言葉は新鮮だった。あっけなく逝った夕顔の君を、光源氏は心に強く刻みつけている。身分違いの恋を生きて忍ぶより、死んで心に深く残る方が、したたかだと言えるのかもしれない。
白洲正子さんが夕顔について書いていた。
夕顔が開くところを見たくてひたすら見つめていたら、他の花は開いたのに、見ていたその花だけ、頭を垂れてしまった。そのうち開くかと何時間も待ったが、ついに開かなかったそうだ。「夕顔は非常に敏感な植物なので、花を咲かせるという重大な秘め事を凝視されるのが堪えがたかったのではあるまいか」と白洲さんは述べていた。私も心痛む思い出がある。羽化するオニヤンマを散歩の途中で見つけ、あまりの美しさに羽をつまんで持ち帰った。庭木に止まらせ見ていたら、程なくして死んでいた。後で、羽化している最中に触ると死んでしまうと何かで知り、ひどく狼狽した。開花も、羽化もすべては大事な秘め事なのだ。
百合や桔梗の花の蕾は、ポンッと音をたてて弾けて咲くらしい。月見草はパサッ、パサッとかすかな音をたてて開くのだと人から聞いた。開く瞬間を見たいと思うが、同時に見てはいけないのだと戒めもする。見るという行為で「秘め事」を汚してはならない気がする。『天の夕顔』が好きだと教えてくれた人がいる。人妻を二十余年、ひたすら慕い続ける青年の物語だ。その恋は今ならさしずめストーカー行為だと言われかねない執拗さで描かれる。・・・
【メモ】「天の夕顔」中川与一・新潮文庫
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