藤原あずみコラム百回目は、特別な一冊を取り上げようと秘かに思っていた。だが、いざ何にするか決めるとなると難しい。あれこれ悩んでいると、どこからか声がした。「今まで、本から受けた恩恵があるじゃろう。それを考えたら、選ぶのはたやすい」厳かな声でそう言われて、はっとした。本からの恩恵……。文字に初めて触れてから今に至るまで、私はどれだけたくさんの物語を本から受け取ってきただろう。その物語は、迷っている時の決断の物差しになったし、悲しい時の慰めにもなり、物事を考える為の礎にもなった。様々な物語の本が浮かんでは消える。思い浮かぶどの本も、私に大切な教えを残してくれた。「どれか一冊に絞るなんて、とても無理だ」。ふと見ると、傍らに人が立っている。その人は小脇に本を抱え、積み上げた本の上に片手を乗せていた。どれも大事そうな本に見える。足元に目を移すと、何とその人は分厚い本の中から現われ出ているのだった。私はおそるおそる訊ねた。「あのう、足元のその本は何でしょうか?」すると、その人は答えた。「辞書じゃ」。その言葉が終るか終わらないうちに、その姿はかき消えてしまった。
そうか、辞書か。確かに辞書には、一方ならぬお世話になった。母国語の辞書である国語辞典。英和、和英辞典。古語辞典、漢和辞典、類似語辞典。ついこの間までは、仕事でくずし字辞典のお世話にもなった。家中の辞書をかき集めてみる。出てくるわ出てくるわ、字統に字訓、字通、ドイツ語、フランス語、韓国語。私が手に取ったことのない辞書が随分ある。だが、一番の馴染みはといえば、やはり広辞苑だろう。少し前まで、知らない言葉に出くわすと、その場では分かったふりをして、家でこっそり広辞苑を引いた。会話の流れが途切れるのが嫌なのと、恥をかきたくなかったので。広辞苑はそんな私をいつも見下していた。「ナンダそんな言葉も知らないのか。仕方ない、教えて進ぜよう」そんな感じ。しかし、言葉の意味を更に探ろうとすると、褒めてくれた。「偉いぞ。ヨシヨシ、言葉は奥が深いのじゃ」。褒められて私は有頂天になった。
今は、重い広辞苑を書棚から降ろすのがおっくう。眼鏡をかけてもちらちらする細かい文字を拾うのが面倒。パソコンのスイッチを入れて、検索してしまう。パソコンはすぐに意味を教えてくれるし、画像や関連事項をずらっと明示してくれる。便利で簡単。だが、その分、すぐ忘れる。「見た」と言う感じが残るだけで、体の中に蓄積された気がしないのである。・・・
【メモ】「広辞苑」新村出編/岩波書店
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