昨年、船橋で飯田基晴監督の「犬と猫と人間と」の自主上映会が開かれた。ずっと野良猫の世話をしてきた老婦人が、自分が亡き後のことを思い悩み、飯田監督に野良犬や野良猫のドキュメンタリー映画を作ってほしいと依頼した。その依頼を受けて、四年の歳月をかけて作られた映画だった。「注文はないが自分が生きているうちに見せてほしい」と婦人は言った。だが、映画の完成を待たずに彼女は亡くなった。「どうして猫なんですか?」と、監督は彼女に問うている。「人も好きですけど、人間よりましみたい。動物の方が」はにかむような顔でそう答えた彼女の言葉に、祈りを感じた。動物たちが見せる思いやりや許容や忍耐を、人も持っているはずだと信じているからこそ、彼女は映画を作りたいと思ったのだ。映画を見て、きっと観客は人間だけがこの世界で生きているのではないことを思い出すはずだ。飯田監督のカメラは犬と猫と人とを同じ目線で捉えている。動物のことにあまり関心がない人も、この映画を観たらきっと何かを感じてくれるだろう。ペット王国と言いながら、日本の現状は惨憺たる有様だ。一昨年、日本で殺処分された犬の数十一万四千三百十九頭。猫は二十三万五千七百二十頭。数字にも驚くが、映画の中の、処分を待つ犬猫の姿に胸が痛んだ。売り買いするから、簡単に使い捨てにしてしまうのだ。命はお金ではなく、やはり愛でやり取りするべきだろう。「昔は私たちも犬や猫を市場で買っていました」と映画の中で英国の老夫婦が語っていた。「今は、犬や猫は愛護センターから引き取るのです」と誇らしげだった。全てがお金で動くこの社会の仕組みを変えるのは無理なのだろうかと悲観していたが、時間をかければ変えることもできるのだと、実感した。
食べ物と住む場所があれば、動物が幸せになれるかといえばそうではない。何より大切なのは、「そのものがそのものらしく生きる自由」。幸福の領域はそれぞれなのだ。だが、人中心のルールの中で生きるには、犠牲も多い。弱いものがより多くの荷を負わされるのではなく、余裕があるものがその荷を手助けする、そんな社会が望ましい。
『ディダコイ』と言うジプシーの少女の物語に、私は野良猫の気持ちを重ねて読んだ。少女キジィは、ジプシーとアイルランド人との混血で、ジプシーの仲間からも、村の人々からも疎まれている。祖母と老馬のジョーと一緒に、荷馬車で暮している。祖母の死によってキジィの運命は大きく変わる。自分が見につけてきた習慣や暮らしから引き離され、普通の家庭で躾を受けるキジィ。だが、学校ではいじめにあい、殻に閉じこもる。・・・
【メモ】『ディダコイ』ゴッデン作/評論社
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