長谷川等伯展に行ってきた。朝早く出かけたが、上野駅のイベント切符売場は長蛇の列。チケットは手にしたものの、博物館の前庭もやはり大蛇がとぐろを巻くが如し、館内もさぞやと思われた。「再入場可」と聞いていたので、込み合っている入口を避けて出口から入った。出口付近は殆んど人が居らず、薄暗い照明の中に松林図屏風が静かに昏く浮かび上がっていた。幽玄な墨絵の一幅。思わず息を呑んだ。霧の中から揺らめき立つ黒い松。その松が人の姿に見えた。長い道のりを歩いて来てすっかり余分なものを削ぎ落とした、体こそ曲がっているものの、凛として尊厳に満ちた人の姿に。目を凝らせば、古色に霞んだ背景は様々な色の集合体であり湿り気すら帯びている。夜明け前のひとすじの風を頬に感じた。私はしばし夢想した。この深い霧はやがて晴れるのだ。裳裾を引きずるようにして後退する霧の下からは、鴇色をした夜明けの空がたち現れる。その空の下には、探し続けていた小さな美しい村がある。そして、そこには、逢いたかった人が待っている。疲れ切った旅人は、腰を伸ばしそっと安堵の笑みを浮かべるのだ……。
確固とした宗教の概念を持たない私だが、不意に「楽土」と言う言葉が思い浮かんだ。長い人生の果てに辿り着く霧のむこうの美しい楽土で、人は永遠に生き続けるのではないかと。
人生とは、霧の中をおそるおそる歩くようなものかもしれない。自分がどこへ向かっているのか、明日に何が待ち構えているのか、誰にもわかりはしないのだから。目に見える風景はみな錯覚で、見えない真実を探す為に、霧の中を人は手探りで歩き続ける。希望のあかりを灯しながら。
「霧の中」と題するヘルマン・ヘッセの詩がある。「不思議だ、霧の中を歩くのは/どの茂みも石も孤独だ/どの木にも他の木は見えない、みんなひとりぼっちだ/私の生活がまだ明るかったころ、私にとって世界は友だちにあふれていた/いま、霧が降りると、誰ももう見えない/本当に自分をすべてのものから、逆らいようもなくそっと隔てる/暗さを知らないものは賢くはないのだ/不思議だ、霧の中を歩くのは/人生とは孤独であることだ/だれも他の人を知らない/みんなひとりぼっちだ」
この詩は高橋健二さんの訳で、中学の時、ノートに書きつけて暗誦した。あの頃は、美しい言葉を覚えることがただ楽しかったが、今は覚えた詩に自分の人生を重ねている。言葉に降り積もった時間を確めるかのように。...
【メモ】「新ヘッセ詩集」ヘルマン・ヘッセ/弥生書房
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