誰の心にも懐かしい記憶のかけらがあるだろう。絵を見たり音楽を聴いたり、本を読んだりした時、そのかけらが不意にぴかぴかっと反応して、ひと続きの風景が、心の底辺から浮かび上がることがある。そうそう、いつかそんなことがあったなと、蘇った記憶にしばし今の自分を忘れることが。
記憶のかけらについて、詩人の工藤直子さんが、ため息をつきたくなるほど素敵な表現をされていた。「ひとはみな/みえないポケットに/こどものころにみた/空のひとひらを/ハンカチのようにおりたたんで/入れているんじゃなかろうか/そして/あおむいてあくびして/目がぱちくりしたときやなんかに/はらりと/ハンカチがひろがり/そこから/あの日の風やひかりが/こぼれてくるんじゃなかろうか(後略)。」
子ども時代の自分の心に辿り着きたくて作ったという工藤さんの詩画集を開いた。「子どもの頃のひとり遊びのように作りたくて私家版にした」。その念の入れようがこの本を、本というより「思い出の小箱」たらしめている。ページを繰る端から、読み手の思い出の方が先走り、止まらなくなってしまうのだ。子どもの頃の空気の匂いや、家族の顔、友達の仕草、誰かの言葉や自分の心。何でもないことに大泣きしたこととか、つまらない意地を張ったこととか、忘れていた風景が後から後から湧いてくる。
<よそいき>「きょうはとくべつなので/とくべつのようふくをきせてもらいました(中略)よくにあうといわれました/かわいいねといわれました/まわってごらんといわれました/にんぎょうのようにまわろうとおもったけど/あしがどしんどしんとなる/わたしはおこりたくなったので/みんなにあっちいってといいました/それからだれもいないとき/もういっかいかがみをみました。」
<うんどうかい>「(前略)しゃがんでじゅんばんをまっていると/ぱんとなったり/どんといったりして/そのたんびにどきんとします/せんせいがみんなにしんこきゅうしんこきゅうといいました/てをひろげていきをすうと/そのあといきがはけません/しろいせんにならぶときがきたら/くちのまわりがあつくなりました/おしっこがでたくなりました(後略)/わたしはうちへかえりたい。」
子どもはぴちぴちと弾けるような感覚の中で生きている。知恵や経験が浅い分、出会うことすべてが驚きや怖さや喜びで包まれている。小さな子どもと関わる仕事の中で、いつも子どもの感性には、はっとさせられた。名前を呼ばれてハイと返事をすること、それだけでもどんなに勇気がいるかとか、返事ができた時にどれほど誇らしい気がするかとか……。
【メモ】「こどものころにみた空は」工藤直子・私家版(問い合わせ・童話屋)
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