道に沿って百日紅の樹が並んでいる。ほろほろと紅が散る。見上げると、枝にはコガネグモの巣がいっぱいだ。美しい網。どの網にも細かい羽虫。伸ばしたクモの脚が満足げだ。一枚、二枚……と巣を数えて歩くうち、いつしか校門に辿りついた。その朝は、五年生に絵本を読むことになっていた。絵本の後で、少しクモの話をした。複眼、巣の張り方、獲物の捕獲。子どもたちは真剣な顔だった。
子どもの頃、クモの糸を巻いて遊んだことがある。三つ又になった枝を探し、そこにクモの巣を絡めとり、どれだけ厚い糸巻きを作れるか競うのである。時折、小さなクモを巻き込んでしまった。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を初めて読んだ時、本気で懺悔した。以来、クモは私にとって畏れを伴う存在だ。
かつて住んでいた家の食堂の出窓に、大きなクモが棲み着いていた。小学生だった息子と娘は、クモの女の子、シャーロットが活躍するお話が大好きで、出窓のクモにも同じ名を付けた。嵐のたびに気をもみ、丹念な巣作りを眺めた。出窓のシャーロットはひと夏を私たちと共に過ごし、いつの間にか姿を消していた。クモの命は一年だ。一年も一生なら百年も一生。命の長さで、生きる覚悟もきっと違ってくるだろう。
『シャーロットのおくりもの』は、農場を舞台にした命と絆の物語だ。豚のウィルバーとクモのシャーロットの友情を軸に、人と動物のふたつの世界が描かれる。ウィルバーはエラブルさんの豚小屋で、未熟児として生まれた。斧で殺されかけた彼を救ったのは、エラブルさんの娘、ファーンだ。
「もし、私が小さかったら、父さんは私を殺してた?」
【メモ】「シャーロットのおくりもの」E・B・ホワイト作/あすなろ書房