毎週月曜日は、市内にある国立歴史民俗博物館でアルバイトをしている。データベースを作成するのが仕事で、地下調査室で黙々と資料に向き合う。倉庫から運ばれてくる資料は、薄紙に包まれ桐箱に納っている。箱を開くと、まとっていた時代の空気が剥がれ落ち、部屋の中に静かに沈殿する。一種独特なその空気に触れる度、「時間」には色があり匂いがある、と確かに思う。時を経た古い物たちに触れた時、ひとつながりの時間の帯を感じ、自分の今在る位置を思い出す。
故・佐原真さんが館長を務めておられた頃、講演会を拝聴した。先生は上手から下手へと壇上を歩きながら、時間の帯の話をされた。
「人類が現われてから今に至るまでの歴史が、ここから……このあたりまでだとすると、戦争が始まったのはどのへんだと思いますか?」先生は下手にごく近い場所で足を止めた。「このあたり。そう、長い人類の歴史から見ると、ごく最近の事なのです。『戦争』と呼ばれるような規模の殺戮が始まったのは、農耕文化が始まって、人々が富を抱え込むようになってから。人間には殺しの本能はない。だから、戦争は必ずやめられるはずなのです」と力を込めた。その時の話はどれも心に残ったが、中でも縄文人の心の豊かさを語った話は忘れ難い。
幼児の手形のそばに母親らしき大人の指あとが残る縄文土器があるそうだ。おそらく幼児の力では手形が土に残らないため、大人が手を添えて押印し、誤って大人の指跡まで残ってしまったのだろうとおっしゃった。小さな子どもの手と、その手を包み込みそっと力を添える温かい母の手がはっきりとまぶたに浮かんだ。
いつの時代も変わらないものが人の心であり、縄文人も現代人も同じ心で人を愛し人を育ててきたはず。そしてそれは、日本だけではなく、何処の国においても同じはず。同じ心を持つ者同士なら、宗教が異なっても言葉が違ったとしても、きっと理解しあえるはずだ。
紀元前三万年頃のクリミア半島を舞台にした壮大な小説がある。旧人であるネアンデルタール人に育てられた、新人クロマニヨン人の女の子エイラの物語だ。
地震によって家族を失った五歳の少女エイラは、ネアンデルタール人のイザに助けられる。言葉も通じず姿形も違う旧人と新人のふたりは、やがて心を通わせ〈母子〉として暮らし始める。成長したエイラはネアンデルタール人との間に子をもうけ薬師として部族で重要な位置を占めるようになる。だが、部族から離れて、自分の仲間であるクロマニヨン人を探す旅に出る。旅の途中、エイラは馬を乗りこなすことを覚え、石投げ器を発明し、ライオンや狼とも意思を通わせる。...
【メモ】「大地の子エイラ」ジーン・アウル作・評論社