新年早々、文章の先生から「自分の恥部を見つめなさい」と言われた。「恥部と言う言葉が嫌なら闇と言ってもいい」。その言葉が心に引っ掛かったまま揺れている。自分のいいところを見なさい。美しく清らかにすごしなさい。そう言われたなら、「はい!」とすぐに答えて努力しようと誓っただろう。ためらっているのは、自分が隠しておきたいものを見るのが嫌だからだ。隠し扉の奥には、恥ずかしいものがいっぱいある。だが、自分の弱点をしっかり見つめられたら、生きるのがどれだけ楽になるだろう。
私は見栄っ張りである。意地っ張りでもある。見栄と頑固さが招いた失敗は多い。都合の悪いことは全部忘れてしまいたいけれど、忘れたい出来事ほど心の奥底にへばりついていて、ふいに思い出すから厄介だ。おそらく悔恨や畏れや羞恥は「恥部」と呼ばれる奥座敷に仕舞われて、時々そこから這い出てくるのだ。退屈のあまりに?私を試そうとして?いずれにしても、仲良くしたい類のものではない。だが、今年は顔をそむけずに、心の奥の暗い部分もじっくりと観察してみようと思う。その暗さも私の一部。もしかしたらそれこそが私そのものかもしれないと心得て。
思春期の頃、暗く重苦しい物語を好んだ時期があった。安全で平和で朗らかで純粋なことより、臆病や欺瞞、憂鬱や挫折の物語に心が向いた。直接自分の心を覗かずに、小説を介して思春期の自分をそっと確認したかったのだろう。
母に用事を頼まれたり弟たちに邪魔されるのがいやで、人目につかない場所を探しては本を読んだ。物置の裏の草が茂っている所。稲わらを積み上げた陽だまり。堰の傍の温まったコンクリの上。土蔵の中二階の、様々なものを干すのに使う場所。読むものが暗くとも、その頃の読書には、日なたと草の匂いがつきまとう。時折、文字の上をテントウムシが這う。花びらが踊り、風にページをせかされた。...
【メモ】『ジェーン・エア』C・ブロンテ作/大久保康雄訳