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本の贈り物

■プロフィール
藤原あずみ イラストレーター。1958年長野県安曇野市生まれ。佐倉市在住。主な作品は「野あそびいっぱい 植物編」(萌文社、中山康夫著)、「お話とあそぼう」(一声社、末吉正子著)など。「第18回小さな童話大賞 山本容子賞」、「第9回ミツバチ絵本コンクール佳作」、「第48回千葉文学賞」など受賞。


「見送る」 『山姥』


 社会学者、鶴見和子さんの『山姥』を手にした。

 鶴見さんは八十八歳の生涯を閉じる前、脳出血後の十年間を老人施設で暮らした。施設での自分自身を、彼女は「山姥」と呼んだ。山姥――力強い言葉だ。自然に還って行く姿としての山姥を想う。それは、恐ろしくもなく醜くもなく、堂々として美しい。南方熊楠ゆかりの熊野の山で此の世を終わりたい、と願っていた鶴見さん。現実は病室での闘病生活であったが、みそひともじから漂ってくるのは、熊野の原生林の清浄でかぐわしい空気だ。

 「山姥の白髪といえる苔いくすじ滝壺の風にたなびきており」/「聳え立つ巌また巌をひょいひょいと飛ぶが如くに移りゆく夢」/「手足萎えどん底に落ちし我にして魂は高くめざす宇宙を」/「ものごとのはじまりにして終りなる一という字おろそかにせじ」/「延命措置ことわり状をしたたむる窓辺に近く花散る気配」/「弱きものを切り捨ててゆく祭りごと火の粉ふりまく山姥の身に」。

 最後の句集となったこの本を手に、一句一句を、かみ締めるように読んだ。

 「私は痛み痛みは我痛みあるから生きてると思えど痛みたえがたきかな」と詠む日がある。「天井に壁にひかりの微粒子飛び小さき白き花ゆらぎおり」/「この世をばさかりゆく時何が見え何が聞ゆかその刻(とき)を待つ」と孤高のつぶやきを洩らす日もある。

 生と死は隣り合わせだ。若い時は生きる事に夢中で、死を思うことは滅多にない。だが、人生の折り返し地点を意識した時から、遠いものと思っていた死が、ふっとそばにいるような気がして、物思いにふける。私はどんな最期を迎えるのだろう、どんなふうに最後を迎えたいのだろうか、と。

 先日、映画「ベンジャミン・バトン」を観た。少し日を置いて「おくりびと」を観た。どちらも、運命から難題をつきつけられた男の物語だった。決して逃げださず、苦しみながらも運命に立ち向かっていく姿が美しかった。二作とも、自分に与えられた人生をどう生きるかと強く問いかけてきた。「死」を通して見えてきたものは「生」だった。「おくりびと」の映画の中で、焼き場の監視員がつぶやいた言葉が印象的だった。「焼き場は門です」。そして彼は、「また、逢おうの」と愛しい人を見送った。焼き場という門をくぐり抜け、使い慣れた体を離れた魂は、此の世から遙かな次元へと旅立って行く。死は終わりではなく、旅立ちなのだ。だから、逢いたい人にはまた逢えるだろう。きっと、逢えるはずだ。...

 【メモ】歌集「山姥」鶴見和子/藤原書店


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