小学校の時、毎日四キロの田舎道を通った。行きは通学路を真面目に歩いたが、帰りは「近道」と呼んでいた田んぼのあぜ道を戻ってきた。見晴らしが良く、クヌギ林を抜ける道だった。「近道」とは名ばかりで、曲がりくねっているから、距離にしたら通学路より遥かに遠い。それでも、子どもだった私たちには、魅惑的な「近道」なのだった。冒険気分が味わえたし、季節ごとにその道には、宝物が待ち構えていた。春のおたまじゃくし、夏の野いちご、秋にはどんぐり、冬は川草にぶら下がった氷の玉を飴玉のようにしゃぶった。クヌギの木にはクワガタやカブト虫もいたし、草の中に瑠璃色のリンドウや紅のナデシコも咲いていた。風もさわさわと吹き抜けて行った。遠い「近道」は、道草によってますます遠くなるのが常だった。小川はあぜ道に沿って流れていたが、ふいに気を変えて道と三回交差した。橋がないので、自力で渡らなければならない。一箇所には中州のようになった場所があり、石づたいに向こう岸に渡れた。あとの二箇所は、跳んで渡った。大きい子は川幅の広い場所を、なんなく跳んだ。小さい子は幅の狭いところを見つけて、やっとの思いで跳び越した。楽しい道中で、唯一緊張を強いられる場面だったが、それはそれで楽しんでいたのかもしれない。何度か川に落ちたりもしたが、初めて広い場所を跳べた時は、すごく嬉しかったものだ。助走をつけて飛び越すのを、みんなが見守ってくれたことも懐かしい。数年前、帰郷した折にその「近道」を歩いた。川を見て、こんな小川の前で勇気を振り絞っていたのか、とおかしかった。大人の足では軽く一跨ぎだった。小学校は移転してしまい、今、そのあぜ道を通る子どもはいない。風景はあの頃と変わらなかったけれど、小川もクヌギ林も寂しそうだった。思い出の場所は、懐かしい。そして、いつもどこか哀しいものなのかもしれない。
これから先、いくつ「川」を渡るのだろう。これまでいくつ渡ったのだろう。自力で渡ったと思うのは大間違い。見守ってくれた人、背中を押してくれた人、一緒に跳んでくれた人。そばには大勢の人がいる。『三びきのやぎのがらがらどん』を子どもたちに読む度に、あの「近道」の小川が思い浮かぶ。このノルウェーの昔話で山羊たちが渡るのは、峡谷にかかったつり橋だ。橋の下にはトロルがいて、山羊を食べようと狙っている。<がらがらどん>たちは、美味しい草を食べるため、命がけでこの橋を渡る。小さい<がらがらどん>と中くらいの<がらがらどん>は、機転でトロルをやり過ごし、一番大きい<がらがらどん>が、最後にトロルをやっつける。...
【メモ】「三びきのやぎのがらがらどん」マーシャ・ブラウン/瀬田貞二訳/福音館