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本の贈り物

■プロフィール
藤原あずみ イラストレーター。1958年長野県安曇野市生まれ。佐倉市在住。主な作品は「野あそびいっぱい 植物編」(萌文社、中山康夫著)、「お話とあそぼう」(一声社、末吉正子著)など。「第18回小さな童話大賞 山本容子賞」、「第9回ミツバチ絵本コンクール佳作」、「第48回千葉文学賞」など受賞。


「学ぶ」 『放課後の時間割』


 「1キロ」という距離を考える時、反射的に小学校時代の或る一日が思い浮かぶ。埃だらけの道とペコペコのお腹。道ですれちがった人の顔と、交番の松の木。握りしめた縄の感触……。

 何のことかと思うかもしれないが、これは算数の時間に、実際に1キロを体感した記憶だ。その日、先生が10メートルの縄を教室に持ってきた。「この縄を物差しに、1キロを歩こう」とおっしゃった。算数が遠足になったので、私たちは歓声を上げた。校門を基点にした。縄のしっぽを押さえるグループ。縄の先を持つグループ。10メートルを測り終えると、今度は押さえる人と歩く人が交代した。熟知した通学路なので、どこで1キロになるか予想しあった。予想した場所を過ぎる時、「あー、はずれ!」とため息をついた。クラスメイトの家の前を通ったり、その家の人が「あれ?」と顔を出したり、みんなで「測量だよ」と誇らしげに伝えたり。わくわくして到着した1キロ地点は、交番の松の木の脇だった。そして帰路。往きの1キロに比べ、帰りの1キロの遠かったことは、同じ道かと疑うほどだった。日も高くなり、お腹もすいて、汗まみれ。給食の匂いが立ち込める校舎に駆け込んだ。

 こんな具合に、先生はよく教室の外で授業をした。1アールも1ヘクタールも校庭に石灰で線を描き、その中に入って実感した。学校の林で茸狩り、畑で作ったジャガイモからのでん粉作り、雪が降り出すと、授業は雪合戦になった……。学校は知育より心育てをしてくれた場所だった。友達や先生や、学校という場所そのものの中に学ぶことがいっぱいあった。だから今でも、私は学校が好きだ。「放課後の時間割」は学校を舞台にしたファンタジーだ。主人公は図工の先生と学校ねずみ。学校ねずみは、学校に住んでいるうちに、人間の言葉を覚え二本足で歩くようになった。猫に襲われたところを図工の先生に助けてもらい、学校ねずみは毎週月曜日の放課後、命の恩人に不思議な話を語って聞かせる。

 おとぎ話なのに、そういうことがあるかもしれないと思えてしまうのは、舞台が小学校だからではないだろうか。小学校は特別な場所だ。発芽時のような熱エネルギーと凝縮された時間が詰まっている。古ければ古いほど、そこには、人が人として育っていく過程の一番濃厚なエキスが染みついている。言葉をしゃべるねずみだっているし、トイレに書かれた女の子と男の子のマークが、人間の姿になってドッヂボールに加わるかもしれない。木でできた古い机のふたが、宝島の地図になることもあれば、校庭のプラタナスの木が歩き出すこともあるだろう。

 まことしやかに「学校の怪談」が語られるのと同じくらい、学校ねずみの話もファンタジーでありながらリアリズムだ。図工の先生の傍らで、私も身を乗り出し、ねずみの話に固唾を呑んでいる気分。14話の話を「聞き終えた」後、無性に故郷の古い母校を訪ねたくなった。木造の校舎は取り壊され、今は江戸川区の保養所になっている。だが、広い松林と小川、林へと続く小道はそのままだ。1キロを測る基点になったあの石柱は、まだ残っているだろうか。その地に立ったら、雑巾がけをした廊下の感触や、机の傷、木枠のガラス窓から覗いた風景が蘇ってくるはずだ。「ファンタジーのないリアリズムはないし、リアリズムのないファンタジーはない」と岡田氏は言う。隣り合わせのふたつの世界を学ぶことが「本当の勉強」だと、私も思うのだけれど。

 【メモ】「放課後の時間割」岡田淳・偕成社


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