悲劇と喜劇は背中合わせだ。人の心奥に悲しみの涙があるからこそ、表面の笑いにペーソス(哀愁)の深みが加わる。心中の明暗の交錯-かの喜劇王チャプリンの名をここに記すまでもないだろう。本作は17世紀フランスの喜劇の天才モリエール(本名ジャン・バティスト=ポクラン、1622~73年)の“伝記的フィクション”だ。ロマン・デュリス扮(ふん)する売れない俳優兼劇作家だった若きモリエールが演劇、貴婦人エルミール(ラウラ・モランテ)との不倫にと、パトロンの夫ジョルダン(ファブリス・ルキーニ)の目をあざむいて身命を捧げる。金満家の夫と周囲の芸術に対する無知蒙昧(もうまい)は、行き届いた時代考証による風刺が効いている。こうした波乱万丈の人生を想像させるがゆえに、没後330年余を経た今もモリエールの劇作は、形而上的メッセージを多分に含んで色あせないのである。
モリエールは「人間ぎらい」「タルチュフ」など数多くの劇作を残した喜劇の天才。ローラン・ティラール監督は、風刺の作劇術を現代のウディ・アレンの高才と並べ絶賛。しかし立身出世までにはいばらの道があった。貧乏劇団の借金のため2度の投獄。この2度目の投獄後、歴史上空白の数カ月に監督は着目し、のちの名作を生み出す源泉となる“伝記的フィクション”を作った。映画は名作の本質を散りばめた構成。舞台仕立てゆえ、出演者はセリフを何回か繰り返し、感情を高ぶらせていく。オーバーアクトは出典の劇作を知っている観客には役名と併せて、たまらない魅力だろう。
舞台も古典劇も経験のないデュリスだが、一人芝居は習練の成果をいかんなく発揮。馬やジョルダンのシュールな物まねなどは、世阿弥の習道論「花鏡」で説く“離見の見”の域に達す。自分の演技を離れた所から見ているのだ。またジョルダンとの掛け合いは上質の喜劇。セリメーヌ(リュディヴィーヌ・サニエ、「人間ぎらい」のヒロイン名)への恋文の代筆を頼まれ、「美しき瞳に焦がれ死ぬ」の文句を考えつく。しかしジョルダンが文句をつけると、たとえば「死ぬ焦がれ美しき瞳」などと単語を次々と並べ変え、無知の相手をからかう。セリフの重要をコメディーでうまく見せている。
モリエールとエルミールが互いを「マダム」「ムッシュ」と呼び合うシーンが序・中・終盤とうまく配されている。出会い、燃え上がる不義密通、そして別れ……。声の高低や抑揚によって悲喜こもごもを表現しており、本作はフィクションのドラマながらそんなラブロマンスがあって、モリエールが不朽の喜劇を私たちに残してくれた、と想像できるのである。(文化部 安原直樹)
07年フランス
監 督 ローラン・ティラール
脚 本 ローラン・ティラール、グレゴワール・ヴィニュロン
撮 影 ジル・アンリ
音 楽 フレデリック・タルゴーン
上映時間 120分
出 演 ロマン・デュリス、ファブリス・ルキーニ、ラウラ・モランテ、エドゥアール・ベールほか
公 開 6日から都内の渋谷Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
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