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ナリタ30年 地域と空港 新たな関係へ

対立から話し合いへ 曲折経て新たな潮流 公開シンポジウム

 地域社会の再生を目指し、地域振興連絡協議会(地連協)が提唱した公開シンポは、対立から話し合いへ、新たな潮流を生み出す扉を開いた。空港反対同盟・元熱田派は二期用地の未買収地で「いかなるもとでも強制的手段を取らない」ことを国、公団に約束させる―などを参加条件とし、村岡兼造運輸相も強制的手段を取らないことを約束、同派は参加を決めた。

 同派元事務局長、石毛博道氏(58)は「組織の閉塞感などから最後の手段として話し合いかと感じていた。落とし所を見いだしていたこともある。一番のテーマは第三次強制収用をさせないことだった」と背景を語る。

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 一九九一年十一月二十一日、曲折を経ながらも反対派農民と国が公式の場で初めて対話する成田空港問題シンポジウムが成田国際文化会館で始まった。ここに来るまで空港の閣議決定から二十五年を要していた。約六百人が見守る中、発言者席には石毛氏と、村岡氏から代わった奥田敬和運輸相が並んで座った。

 石毛氏は「地域から孤立した成田空港は仮死状態。その土地に再び生命を吹き込むため徳政を宣言する」。奥田氏は「位置決定に当たり地元住民への十分な説明と理解を得る努力が尽くされなかった」。隅谷三喜男・シンポ運営委員長は「解決のための基本視点は民主主義と社会正義」。おのおのの立場から発言した。

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  事業認定の有効性をめぐる論戦が白熱、第六回(九二年五月十九日)シンポで隅谷調査団は「運輸省が土地収用法は形式的には適用可能だとすることは社会正義の視点から問題がある」とする所見を発表した。

 「『社会的正義の視点から問題がある』などの文言は最初の文にはなかった」と言う石毛氏は、「隅谷さんと電話でけんかになり『こんなもので成田闘争が解決すると思ったら大間違いだ』と言った。ここが勝負どころと思っていた」

 最終回の第十五回(九三年五月二十四日)、(1)収用裁決申請の取り下げ(2)国が過去の行為を反省しB、C滑走路計画を白紙に戻す(3)成田空港問題の解決にあたって新しい協議の場を設ける―とする隅谷調査団の所見を、反対同盟、国、空港公団が受け入れた。

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