高木一惠氏の第三句集『悲母なりし』が「ふらんす堂」から出版された。扉には「母初子五十回忌に捧ぐ」とあり、また「あとがき」には、二十代で父母なき身となられたゆえの「母とは何か」を求める未来志向がうかがえるなど、量感の一書といえようか。
慈母なりし悲母なりしとも冬椿
一 惠
句集名になったこの句に、金子兜太師(「海程」主宰)は、敬意や賛辞を超えて、客観的できびしい句とされ、その誠実さを「序」にしたためられている。また、倉橋羊村師(「波」主宰)は、「慈母も悲母も同じことである。母は所詮鬼にも悲母にもなる。それが宿命なのだ」と記されている。
このように二人の師に恵まれているばかりか、高木氏は、連句の天魚師(真鍋呉夫)の連衆であるなど、その作風は領域が広く、天性ともいえるオリジナルな個性を展望させている。
靴ぬげば手児奈の素足かつしか野
神妙に茅の輪くぐるや夫の前
九条や薔薇の一本捨てられず
赤紙を折れば紅づる終戦日
鶴引くや何に割かれて拉致家族
一句目の、真間の手児奈の伝説が呼び覚まされたロマン。二句目の、香取神宮での「茅の輪」くぐりの妻。そして「九条」や「赤紙」や「拉致家族」など、時代の風潮を詠み取る一巻のたかまりは、表現意識のあざやかさをみせていよう。
母くれし笑窪咲かせむ菊日和
観音はかやの木生まれ時雨聴く
喜母なりと子は思へかし暖め鳥
またここには、人々への鎮魂と感謝が込められた、子であり母であることの誇りが美しいばかりに表現されていよう。
(山中 葛子・・・俳人、千葉市在住)
mixiチェック