銀板写真(ダゲレオタイプ)が1839年に発明されてから、写真の歴史は優に1世紀半を超え、現在にいたっている。その間、写真機材は急速な進化を遂げた。さらにここ最近のデジタル化の波により、日常生活の中で写真は一層身近な存在になった。しかし、一品主義を建前とする絵画などの芸術と比べ、複製できる“お手軽さ”から写真の価値が低位にみられているのは事実だ。英国のウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(1800―77年)の世界最初の写真集とされる「自然の鉛筆」の刊行(1844―46年)以来、わが国では幾千、幾万冊の本が世に出ては正当な評価を得られず消えていったことだろう。まるで海外に大量流出した浮世絵の変遷を見ているようだ。欧米でいま戦後を中心に日本の写真家の実力が再評価されてきている。写真史に残る金字塔的な傑作の数々を狩人の目で探し、紹介する。
写真は光がなければ写せない。ネイチャー写真においての光源とは、誰もが思い浮かべる太陽だろう。だが、この1冊はそんな固定観念を根底から覆した。満月の光だけで地球を撮る。石川の発想の転換で、かつてない記録が残された。本の発刊(1990年)の前年に150年を迎えた写真史の中で、初めての奇跡だった。
“ムーンライト・ブルー”。幻想的にして幽玄な青白い月光の下で脈打つ地球の鼓動が、本から聞こえてくる。それはヒマラヤの山脈であったり、パラオの海底であったり。時には足元で妖(あや)しく輝く花々の小宇宙を被写体にしている。
石川が月光の可能性を予感したのは84年。広告写真の仕事で訪れたハワイ・カウアイ島だった。たまたま散歩した夜の海岸。月明かりに海、空、雲、そして鳥の羽先まで「意外にクッキリと見えた」。少しの時を経たサイパン。三脚に据えたポラロイドでジンジャーのつぼみを試写した。
当時、広告写真界で勇名をはせていた写歴22年のベテランには仕上がりのイメージがあった。「墨絵のように写るだろう」。だが、その予想はいい意味で裏切られる。ポラにはグリーンの茎、白いつぼみの先のピンクまで色彩が横溢(おういつ)していた。「生まれて初めての衝撃」。隣にいた友人が驚くほどの大声を思わず上げていた。「ライフワークが見つかった」。
85年から本格的な撮影を始め、本の完成まで実に5年を費やした。「太陽光の46万5千分の1」の満月の光を得るには、撮影日が限られるためだ。さらに1枚の撮影に1時間以上の露光をかけることも。「露出は手のひらの指紋の見え方で決める」。写真史における奇跡の記録は、長い経験に基づく全マニュアル撮影によるものだった。
この本はこれまでに20刷もの版を重ね、版元の小学館が「アート系ではトップ級の部数」(書籍営業2課)という累計12万4千部を販売。ロングヒットを弾みに、石川は計8冊の月光写真集を世に送り出し、世界でただ1人の“月光写真家”としての地位を確立した。(文化部 安原 直樹)
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