「世代」など抵抗3部作で知られるポーランド出身の映画監督、アンジェイ・ワイダが「街角のエリクチュール(文字、筆跡)」という序文を寄せている。とてもうまいタイトルだと思った。この本には東京・下町のモノクロ風景が収められており、そこにはバブル期の目まぐるしい都市乱開発を免れ、したたかに生き残った“匂(にお)い”という跡がしっかりと染みついている。
1973年からの撮影にあたり、鬼海はある「ゲームの規則」を作った。それは愛機ハッセルブラッドC/M+標準レンズのプラナー80ミりという機材制限であり、気体である下町風景の匂いを、自分なりの風味付けで固体のフィルムに封じ込めることに見事、成功している。
スクエアサイズの画面には乱開発の荒波の中で、人の姿をあえて排除し、そこだけ時が止まった「都市のポートレート」が並んでいる。袋小路、手書きの看板を掲げた商店や飲食店、集合住宅、洗濯物がかかった木造民家…。カールツァイスレンズ特有の柔らかな光が回遊する。ページをめくる手がハタととまる。ここは本当に近代都市・東京なのか―。深い疑心を抱きながらも次、また次のページとめくるたび、都市ジャングルの迷路に入り込む。
その迷宮の中で、表紙にした長いまつ毛の両目のオブジェ、男湯・女湯の入り口、窓枠を眼鏡に模したシンメトリーの作品が、日陰のカビた臭気を鼻腔(びこう)に残しつつ、特に印象に残る。
鬼海は人物はもとより建築物までも「背景にある物語を写し撮る作家」として高い評価を受けている。浅草で出会った個性的な人々を撮影した「PERSONA」(03年、草思社)のヒットは記憶に新しい。写真家になる前、山形県職員やトラック運転手、遠洋マグロ船乗組員など数々の職業を経験し苦労を重ねてきたせいなのだろうか。常に骨太の作品を世に送り出している。(文化部 安原 直樹)
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