「カッティング」という映画の専門用語がある。必要な場面を選んだり組み合わせたりする「編集」を意味する。撮影後の精密な編集が、カットをシーンにそしてシークェンスとし、物語をつくり出す。この作業いかんで、映画は佳作にも駄作にもなり得る。その意味から本書はカッティングの妙味によって、私たち日本人にはなじみの薄いイタリア写真史の佳品に仕上げた。潜在的な価値観を発掘してみせたのである。
写真史研究家パオロ・モレッロが、この10年で購入した写真から本書は編まれている。1945~75年は、まだ写真が絶対的な影響力を誇っていた時代。モレッロ演出は写真家約40人を登場させ、彼らの作品を時系列にたどって手堅い。すると、写真の時代的あるいは思想的な背景が徐々に浮き上がってくるのだ。
田舎の生活や庶民の宗教心を被写体とした作品から滑り出す。表紙に使ったカットは世界的な報道写真家マリオ・デ・ビアージ(1923年~)が49年、シチリアの海岸で写したカットだ。兄弟と母、祖母だろうか、天頂の太陽が4人の真下に濃い影をつくる。母が全裸の弟にコップで飲み物を与え、その肩に手を掛けて見下ろす祖母の視線が優しい。まだ人々は貧しかったが、純朴で将来の希望を胸に抱いていた。
ページを繰るたび生活は豊かになる。蒸気機関車が煙を上げて画面の縦横を走り、工場の煙突が林立する。工業化や都市化の激流に反発して、紙面は大地の文様に移る。写真家は生活に密着したドキュメンタリストから、芸術に傾倒したフォルマリストとして永遠の美を追い求めていく。
皮肉なことに写真はその産業発展とともに芸術の地歩を固めた。よって交通網を利用して、写真家は世界を飛び回る。戦争や暴動による残虐カットを挿入しながら、その足はヨーロッパから中国、アメリカをまたぎ、氷点下65度のシベリア大陸にまで行き着く。世界の外面と自己の内面の表現という両極のせめぎ合いが、写真の革新性と存在感を生んだのである。(文化部 安原直樹)
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