金村はさんさんと降り注ぐ太陽を背にし、東京の繁華街をさまよっていた。順光が看板や自転車、ビルなど乱雑な万物に黒々とした影をつくり、悪臭ふんぷんの瘴気(しょうき)が満つる。わずかに残った空にびっしりと張り巡らされた電線が、まるでクモの巣のよう。タイトルの和訳「クモの戦略」に大都会はまんまと掛かっていたのだ。
強烈なコントラストのモノクロ写真で東京の混沌(こんとん)を表すが、その作法に矜恃(きょうじ)がある。近著「漸進快楽写真家」(同友館)で、金村はフレーミングやアングルといった通り一遍の写真表現の“個性”をシニカルに否定している。「写真は自分が何かを表現するための手段ではなく、写真家自身が写真のための手段だ」と。
そうは言うものの、撮影に関しては、レンズ収差が少ないマキナ6×7・80ミリレンズを使い、絞りは晴れがF16、曇りがF11のパンフォーカス、光は常に太陽を背負った順光と、作法を弁(わきま)える。パリの街を写したウジェーヌ・アッジェ(1857-1927年)のように「普通に撮る」ための制約なのだ。写真家の自分勝手な思い込みより、「丸い物は丸にしか見えない」というフォルムの共有を優先している。
そして、撮る行為は「犬が吠えるみたいに、(中略)生理機能の一つとして口が叫ぶようにシャッターを押す」。重要なのはシャッター音であり、歴代の愛機は「みんな大きくて気持ちよかった」。たて続けに響くシャッター音が写欲を高揚させていく。
金村は写真の個性を否定しているが、写真を撮ることの普遍性において作家的要素を多分に含む。乱暴な言い方になるが、作家性とは結局、ひと目で誰の作品か分かるかという1点に集約される。その意味で独自の作風を確立したと言えるのだ。金村は96年、NY近代美術館の展覧会で「世界の注目される6人の写真家」に選ばれ、その後の評価は絶版の本書が定価の最低10倍超で取引されていることからも相当高い。(文化部 安原直樹)
mixiチェック