1枚の写真から目を離すことができずにいる。これまで万という単位の写真を撮り、その幾倍の写真を見てきたのにである。心臓をひと突きされた痛撃-。マリオ・ジャコメッリ(1925~2000年)のシリーズ「死がやって来ておまえの目を奪うだろう」の中で最も有名な作品(本書102ページ)がそれだ。
被写体はホスピスの老人たち。白黒画面の中央に頭からスカーフを被った女の老顔のアップがある。目を閉じ、口を半開きにし、まるで屍(し)ろうのごとき視触。しかも覆い焼きによって女から生命の光が放射され、魂がいままさに肉体を離れる瞬間といった錯覚を起こす。周囲の女たちは死にゆく者の最期をみとる備えか、遠巻きでいて影絵のように揺らめく。画面に焼成された生と死の境界。浅いピントと白と黒に切り詰めた諧調(かいちょう)が、この世のものとは思えない黄泉の世界に私たちを導くのだ。
スーザン・ソンタグは「写真はすべて死を連想(メメント・モリ)させるものである」(「写真論」より)と書く。なるほど写真は時の一瞬を止める芸術であり、その瞬間から万物は確実に前進しているのだから、過去は死だろう。ジャコメッリの終生のテーマは時間=死だったという。その映像化のために、辺見庸は「生と死のあわいにかれは眼をむけたのだ」(「私とマリオ・ジャコメッリ」より)と記す。
分厚い本の作品群を見ていると、フォトグラフを「写真」とした誤訳を今更ながら恨む。ジャコメッリにとって、フォトグラフとは目の前の真実を写すものではない。あくまで、心の表現手段としてのカメラなのである。よって「写真」に関する倫理的な作法は一切無視される。硬質な印画紙に刻まれた白と黒のコントラスト。色は極端な二諧調に収束され、モノクロ写真の美とされるグレーの中間色は排除される。そして多重露光や手ブレ、被写体ボケ、時には絵筆で絵や模様まで描いた。これらの技巧は魔術である。彼の作品は“念写”なのだから…。(文化部 安原直樹)
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