「軍艦島35年ぶり上陸解禁」の記事を新聞で読んだ。そして、思い出したのが書棚の奥に眠っていたこの本だ。初版の1986年当時、副題にある通り軍艦島は「棄(す)てられた風景」だったのである。
長崎市沖に浮かぶ端島(はしま)は島の形が軍艦に似ていることから、その名がついた。同市文化観光総務課によると、1890~1974年まで、海底炭坑の島として日本の近代化に寄与。昭和30年代には高層アパート群に5000人以上が暮らしたが、閉山後は無人となっていた。
雑賀は中学の時、父に買ってもらった百科事典でその存在を知った。約10年後、デザイン専攻の学生になっていた雑賀は閉山のニュースに驚く。そして、矢も楯もたまらず長崎港から船に飛び乗った。74年1月から約3カ月間で、上陸は計1カ月にも及んだという。それほど要塞(ようさい)のように見えた被写体に魅了されたのだ。
作品の多くは再上陸した84年に撮られたものだろう。建物の傷み具合や厚く積もったほこりから推察できる。かつて島民が使っていた食器や瓶などの家財は死の風景。しかし、「東京ドームの1・3倍しかない狭い島で、最盛期の人口密度は東京都の9倍」(同課)だった濃密な生活臭も封じ込められている。モノクロゆえに私たちの目は作品を凝視し、その歴史の重みを想像できるのである。人工の音がまったくしない。聞こえてくるのは海風のさびしく泣く音だけだ。
圧巻は軍艦島の外観ショット。重く垂れ込めた雲が太陽を隠し、完全なシルエットとなった島影は、軍艦が波を切り裂き、どこかに向かっているようだ。水平線の傾きが一層、そう見せる。行き先は私たちの記憶の彼方であった。
閉山から35年。軍艦は長い航海を経て、再び帰ってきた。歴史遺産としての価値が再認識されたということだろう。同市は桟橋や遊歩道などの整備に約1億円をかけ、年間2万数千人の来島を見込んでいる。つまり軍艦島は「棄ててはならない風景」となったのだ。(文化部 安原直樹)
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