夏の東京の街を車上から写した作品群だ。なぜゆえに車上“窃写”を試みたのか?あとがきの言葉を借りれば、そこに「アラーキー(荒木の愛称)的魔術」が施されているという。
撮影の目線は常に一定している。車の視座による映画監督小津安二郎(1903~63年)的なロー・アングル。禁欲的な単調さがまさに共通する。しかし、映画ならカットがつながってシーンを作り、シーンが重なってシークェンスとなるところ、荒木にはそうした撮影意図はない。非演出の写真が劇映画と異なるのは当たり前なのだが…。
そこで車の走行スピードを意識して、約400枚のカットを収める分厚な本をパラパラと繰ってみる。ワンカット、ワンカットは確かに独立しているが、同サイズで横位置に並べた編集のリズムも手伝って、連続性を生み出している。
荒木は特に女性のヌード写真において、両者の肉体関係を私たちに邪推させる濃密な空気感を醸す。だが、本書では車の窓ガラスが世界を隔てる大きな壁となって、その関係性はいたってクールだ。あくまで匿名のトラベラー(旅行者)的スタンスを守り、ただ目の欲望に素直に従って標準の90ミリと広角の55ミリを装着した6×7判カメラ「プラウベル・マキナ」で窃写を続けていくだけだ。
しかし、いつの間にかトラベラーだった荒木が名監督に変身している。小津映画に欠かせない名優笠智衆(1904~93年)の極上の演技である路傍の石のごとき自然な群衆が写真の中にいる。笠は著書「小津安二郎先生の思い出」(朝日文庫)に、監督の緻密(ちみつ)な演出に全幅の信頼を寄せて「ヘンな芝居をして先生の演出の邪魔をしないように、頭の中をカラッポにしていなくてはいけない」と記している。つまりドキュメンツでありながら、荒木も「余計なことを考えても無駄」と車上から自然体の演技をつけているように見える。それも魔術なのだろう。
最後にこの天才が地元・千葉大卒ということを付け加えておきたい。(文化部 安原直樹)
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