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房総の作家

■プロフィール
中谷順子(なかたに・じゅんこ)
  詩人、文芸評論家。房総文化懇話会会員。元千葉県詩人クラブ会長。詩誌『覇気』主宰。詩集に『返信』『白熱』『破れ旗』、著書に『房総の作家①②③』など多数。千葉市在住。


愛弟子の歌を浄書 水野葉舟9


押尾孝歌集「戎衣抄(じゅういしょう)」の原稿。押尾孝の歌を葉舟が浄書している(押尾禎一氏所有)

 駒井野(現・成田市)の「藁の穴」で開墾生活に入った葉舟は近くに土地を求め「ランプの家」を新築して住んだが、その後大清水に移っている。何時ごろ大清水(成田市)に移ったのかはっきりしないが、或(ある)いは「ランプの家」とは駒井野の隣町である大清水に建てた家だったのかも知れない。

 酒々井に住んでいた葉舟の愛弟子・押尾孝氏(故人)は大清水の水野邸を足しげく訪れた。

 孝氏のご子息で現在は花見川区浪花町にお住いの押尾禎一さんは、子供のころから父上に連れられ、幾度も大清水の水野邸を訪れている。そのおり、4歳年下の葉舟の娘・三重子さん(母は宮本満寿)とよく遊んだという。また酒々井の自宅でも例会が開かれ、葉舟も訪れたので、幾度も葉舟と会ったことがあるそうだ。

 孝氏は、葉舟の自筆の掛け軸や、葉舟から送られた書簡、高村光太郎が葉舟あてに出したはがきなど、葉舟と光太郎に関する資料をたくさん所有していた。禎一氏の話によると、成田市三里塚御料牧場記念館内に展示されている葉舟と光太郎の関係資料は、父上が生前に寄贈したのだろうとのこと。

 禎一氏に葉舟の思い出を語ってもらった。

 「葉舟はとてもやさしい感じで、子供の目にも偉ぶったところがまったく見えませんでした。葉舟は大佛次郎とも交流があり、大佛がそのころ出版していた『学生』(研究社)という雑誌を毎号葉舟のもとに送ってきていましたが、その『学生』を、そのつど少年だった私の名あてで亡くなるまで送ってくれました。そうした細やかな心遣いをする人でした」と禎一さんは話す。

 孝氏は昭和53年に逝去。孝氏は生前、「足跡」「戎衣抄(じゅういしょう)」の2巻の歌集を出版するつもりでいた。その一つ「戎衣抄」は、能筆家の葉舟の筆で清書されており、葉舟の序文が付いていて、上田廣の自筆の評「本物と言えるもの」と、水町京子の自筆評が付いている。(現在、禎一さんが所有)出版するつもりで全てが準備されていたことがわかる。大変貴重な一冊である。・・・


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