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忙人寸語

2010年8月13日

▼乗客乗員520人が死亡した1985年8月12日の日航機墜落事故から25年。本県関係者も機長をはじめ、約20人が犠牲になった

▼当時20代の若手記者として県内関係者の写真集め、家族や救出・遺体収容活動に当たった陸上自衛隊第一空挺団などの取材に奔走した日々が昨日のことのようだ

▼「生存者がいるという情報に期待をかけています」と、しっかりした口調で行方不明の父親を気遣った19歳の長男。2昼夜不眠不休で活動、「もっと自分たちが早く現場に到着できれば、より多くの人を救助できたかもしれない」と、複雑な表情で語った陸自隊員

▼大自然と家族を愛し、地域のハイキングサークルのリーダーとして人望を集め、52歳で逝った男性の家族やサークル会員の話には目頭が熱くなった。四半世紀の時間は人も、企業の運命も変える。取材に協力してくれた人たちはお元気だろうか

▼先日、家族旅行で群馬県上野村の「慰霊の園」近くを通った。取材の思い出が走馬燈のように浮かぶと同時に、家族を残して非業の死を遂げた多くの人たちの無念さをあらためて思った。“世界の翼”といわれた日航は経営破たんして、再建途上にある。合理化で安全対策は大丈夫なのか

▼広島(6日)、長崎市(9日)への原爆投下と15日の第2次世界大戦終戦。この時期は人類が2度と繰り返してはならない悲劇を心に刻む日が続く。

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