私の小倉台日記

■プロフィール
勝山朗子(かつやま・あきこ)
  小説家、エッセイスト。房総文化懇話会会員。文学サークル『槙』同人。共著に『千葉児童文学選集』『槙・文学選集1・2・3』『何がそんなに…』など。千葉市在住。


何気ない幸せ


 ご主人を亡くした友人が言った。「毎日が寂しくてたまらない。何が特に寂しいかって、『今日は涼しいわね』とか『ほら空がきれい』などと、何気ない言葉を言ってしまったとき」と、しみじみとしていた。深刻な相談事のあるときは、もちろんいてくれた方がいいに決まっているけれど「おはよう」などという軽い言葉に、相槌を打ってくれる人がいないのだと気が付いたときはとても寂しい、と言っていた。友人の声や言い方に実感がこもっていて私は胸が詰まった。

 また別の人の話。息子が重い病気で十年近く心配していた人だ。付きっ切りで世話をして、今やっと治って息子は勤めに出るようになった。「人並みに電車で通勤している。会社でもまじめに働いている。そんな小さな当たり前のことが、私にはうれしくて仕方がないの。毎日の景色があの頃と全然違うのよ」と声が明るい。

 二人の言葉を合わせてみても、幸せというものはすぐ近くにあるということなのだ。昔からそう言われていることだし、メーテルリンクの「青い鳥」だってそう言っている。でも、それに気がつかないでいるから私は不平や不満を言ってしまう。

 「ほら何度も言っているのに、まだ薬を飲まない」とか「(車の)ギアをNに、サイドブレーキを上げて、それからスイッチを切る。はい、よく出来ました。危ないなぁ、本当に」などなど、うるさいと思われても何度でも言う。しかしこれは不平不満なのだろうか。いや違う。命の危険があるから発せられる、愛情の言葉なのだ。

 なぜそんなに忘れるのだろう。右脳がどうなって、左脳がどうなって、脳幹がどうなって、と知りたいところだ。

 医者の言葉を借りるなら「こう言ってしまっては身も蓋もありませんが、なにぶんにもご高齢ですから」となる。高齢と言われる歳、後期高齢者。何だか急激に高齢になったようでピンとこない。高齢、高齢と言われても、もっと年上の人で元気いっぱいの人もいる。願わくば、昨日元気で今日夫婦ともども空気のように消えてしまった、というよい方法はないものだろうか。...


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