私の小倉台日記

■プロフィール
勝山朗子(かつやま・あきこ)
  小説家、エッセイスト。房総文化懇話会会員。文学サークル『槙』同人。共著に『千葉児童文学選集』『槙・文学選集1・2・3』『何がそんなに…』など。千葉市在住。


私もいつかは


 友人が老人病棟に入院した昔の女友だちを見舞いに行った。

 若いころは教職にあった二人で親しかったらしい。ところが「会わないで帰ってきた」と言う。彼女の、あまりの変貌ぶりを遠くから見て悲しくなったからだという。教職にあったころは明るくキビキビとして、聡明な女性だった。だが今はその姿はなく、まるで別人だったと嘆いていた。「まるで別人」とは認知症の症状が出ていたのだ。

 統計によると八十五歳以上の四人に一人は認知症だという。ほとんどの人がぼけるというわけだ。

 それでいて、だれもが「ぼけたくない」と思っている。なぜか。排泄の始末ができなくなったときの自分を想像してゾッとするからだ。そして、そういう世話をしてくれる家族に迷惑をかけたくない、と思うからだ。

 また老人ホームを慰問している人が、ホームの老人たちについて言った。「人はどう生きたかによって、どう老いるかが決まる」と。それを聞いたときは、もっともと思われる意見に感心したものだったが今の私はそうは思わない。「どう老いる」と言ったって認知症になってしまったのは「どう生きたか」に関係あるのだろうか。

 認知症の原因は脳の萎縮によるアルツハイマー型もあるし、脳梗塞や脳出血の発作のあと起こるものもある。定年退職のショックからぼける人や、脚の骨折で寝込んだあとにぼけた人もあるという。甲状腺の機能低下やアルコールなどにも原因があるそうだ。認知症になったことが本人や家族のよくない生き方の結果、だとは思いたくない。

 とはいうものの本を正せば夫が脳梗塞にならない「生き方」はあったはずだ。脂ものを減らすとか、水分を多くとるとか、よく歩くとかがあったはずだと、今になって反省する。

 先日私はやかんに湯を沸かし、ポットにその湯を入れた。夕食の支度をしながら、やかんの口から湯気が出ているのに気付いた。「あ、まだポットに入れてなかった」と独り言を言った。この独り言というのも、夜の台所では気味の悪いものだ。・・・


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