佐村河内(さむらごうち)守さんの交響曲第一番「HIROSHIMA」を聴いた。佐村河内さんは、広島生まれの被爆二世。独学で作曲の道に進んだ。聴覚障害が生じたのは十七歳の時。その時、書き始めた「HIROSHIMA」は、二十年以上を経て二〇〇三年に完成。その間に彼は全聾となり、頭鳴症の発作と闘いながらの作曲だった。新聞には、五線譜に貼り付いて音符を書き込む佐村河内さんの鬼気迫る姿が紹介されていた。版木に向かう棟方志功が思い浮かんだ。仏師のようでもあった。多分、音符のひとつひとつに、祈りを込めているのだろう。聴こえない耳には、自分が紡いだ音が鳴り響いているに違いなかった。
「僕は自分で真実と思える音楽しか、書けません。それがクラシックです」と、佐村河内さんは語っていた。西洋を母体とした数々のクラシック曲が思い浮かんだ。クラシックが生まれた歴史的背景や歳月に洗われる過程を越えた別の次元--現代の日本という場所で「HIROSHIMA」は生まれた。この曲を書く事が彼の運命であり、彼にしか書けなかった、そんな気持にさせられた。新聞記事は「聴き手の覚悟も問われる」と締めくくられていた。どんな恐ろしい曲だろう。一度聴いただけで懲りてしまうのか。おそらく癒しは得られないだろうと、恐る恐る、プレーヤーのスイッチを入れた。
だが心に拡がったのは、激しくはあるが心地良い世界だった。現代音楽によくある不協和音を連ねた不安な表現もない。暗い旋律や激しい音の中にも、なぜか安心感がある。それは暗さの後で、必ず繰り返される穏やかな旋律のせいだと気づいた。闇から光へ、光から闇へ。おそらくどんなに平凡な人生もその繰り返しであり、壮絶な一生もまた、闇と光の繰り返しなのだろう。クラシックの様式美が、光と闇をみごとに交差させていく。そして最後は、激しい音で終わった。突然静かになった部屋の中で、私は夢から覚めた後のような物哀しさと心細さを味わった。芸術が、苦難の果ての答えを求めるものだとすれば、彼の求めた真実(答え)は、怨みでも、憎しみでもなく、祈りなのだと思い当たった。
アウシュビッツとヒロシマ。このふたつの言葉に象徴されるのは、西洋的合理主義と科学万能主義がもたらした絶対悪だ。繰り返してはならないはずのその過ちが、形を変えてさざ波のように、私たちを襲い続ける。云われなき差別も、貧困も、原発もまた然り。......
【メモ】「夜と霧」・フランクル・みすず書房
本の贈り物のご意見・ご感想を
こちらからお寄せください。