和箪笥の底から、着物を出した。手入れもせずに、箪笥で眠らせていた母の留袖だ。畳紙を開くと、母の匂いがした。裾に舞う銀ねず色の鶴と浪の模様。母が最後にこの着物を着たのは、弟の結婚式だったと記憶している。だとすれば、着物は二十年以上も畳まれたままだったのだ。
六月に、昨年入籍した娘の披露宴がある。貸衣装にするつもりだったが、衣装合わせの時、母の留袖も持って行った。あでやかな裾模様の留袖をいくつか試したが、着慣れない和服はどれもしっくり来なかった。どれを着ても同じ、そんなふうに思えて選ぶことができなかった。だが、最後に母の着物を羽織ると、気持ちがふっくらした。「どう?」と振り返ると、娘と夫が「おばあちゃんのがいいよ」と口を揃えた。貸衣装をキャンセルして、母の留袖を着ることに決めた。渋い色味なので、私には地味すぎると決め込んでいた留袖。だが、いつしか私もこの着物を作った時の母の年に追いついていた。美容室から帰る道すがら、忘れていたことを次々と思い出した。母がその留袖を作ったのは、私の結婚式の為だった。父の同級生が松本で呉服屋を営んでいた。「麹屋さん」と屋号で呼んでいたその人に、母の留袖と私の付け下げとを仕立ててもらったのだった。
祖母が存命中も、麹屋さんは、母と祖母の着物を作りに我が家を訪れた。着物を作るのは稀な事だったから、座敷中に広げた反物の前で、母と祖母はあれこれ吟味していた。子どもの私の目にも、その光景は美しく華やかだった。
祖母と母は折り合いが悪かった。
並んで台所に立つ時やちょっとした手仕事の合間に、母はよく私に愚痴をこぼした。世間話をするような淡々とした愚痴だったから、私はただ相槌を打っていた。愚痴というより、おそらく母は、私に、女にはこういうこともあるのだからと伝えたかったのだと思う。
箪笥にしまわれた母の着物は、「女の伝言」めいていて、それを出すのも着るのも、気が重かった。だが、今回、その重さに支えられて、私は母親の役割を果せそうな気がする。娘とは友達のように付き合ってきたから、女の重さを伝え切れずにいた。着物一枚で、それが伝えられるとは思わないけれど、女から女への大事な約束を果せそうな安堵感がある。母の留袖を着るのだと友人に話したら、敬愛するその人は「それはいいね。あなたがそれを着るってことは、娘さんも着るってことね」と即座に賛成してくれた。・・・
【メモ】詩集「おかあさん」/サトウハチロー/日本図書センター
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