暮れに風邪を引いた。熱は無かったけれど、咳が出て体がだるかった。休むわけに行かない仕事があったので、薬を飲んで二日間しっかり寝た。空腹を覚え、「梅干のおむすびが食べたい」と起きあがった。思い浮かべたのは、青森の佐藤初女さんが作るおむすびだった。ただのおむすびではなく、祈りを込めて握るおむすびだ。喉はまだ痛かったが、梅干の酸味を思い浮かべただけで体から力が湧いてきた。
優しく米を洗い、三十分後に炊飯器のスイッチを入れた。炊き立ての御飯を茶碗によそい、お皿にあけた。一昨年漬けた梅がおむすびに丁度いい塩加減だ。白い御飯にぎゅっと押し込む。塩をまぶした手でしっかりと握る。美味しくなあれと祈りながら。四角く切った海苔でおむすびを包む。庭で採れた大根の味噌汁。母が漬けた野沢菜。知人が焼いた陶器に盛り付けて「戴きます」と手を合わせた時、「食は命」の言葉がじんわりと体に浸みていった。
今まで数え切れないほどおむすびを食べた。自分でもおむすびを握ってもきた。思い出に残る場面のおむすびはどれも、それと知らず祈りが込められていただろう。その祈りを私はちゃんと受け止めていただろうか。
実家の母のおむすびは、大きくて丸い。遠足や運動会。農繁期のお昼やおやつに登場した。里帰りして千葉の自宅へ帰る朝も、母はよくおむすびを握ってくれた。まだ薄暗い台所で、立ち働く母の物音。「途中で食べなさい」と差し出されるおむすびを、心ない言葉で断わった事もあった。「いいのよ、おむすびなんか。途中でパーキングのレストランに寄るから」。
食は命。祈りでもある。なんて浅はかな娘だったろう。
青森県弘前市に住む佐藤初女さん。彼女のもとには、心を病んだ人、苦しみを抱えた人たちが集まって来る。初女さんは、その見知らぬ人たちに食事を供し宿を与え、ただ寄り添う。初女さんのおむすびを食べて自殺を思いとどまった人、人生をやり直そうと決意した人は数知れない。ありのままの自分を受け入れてもらう事、心を込めて作られた食べ物を戴く事が、どれほど人の心を救うかに気づかされる。
先日、友人が初女さんのCDを貸してくれた。私は本を通してしか彼女を知らない。どんな声の人だろう。わくわくしながら聴いた。温かい声だった。その声と一緒に流れて来たのは、水を汲む音、米を研ぐ音、すりこぎの音、まな板の音、鳥のさえずり。静かで慎み深い暮らしの音は、そのどれもが透んでいて心地よかった。・・・
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