孫が誕生してひと月半。かわいいものとは聞いていたが、私もすっかり虜になっている。知人が「孫が御飯を食べている姿を見ているだけで、その懸命さ、けなげさに涙が出てくるの」と言った。私も孫の寝姿を見ているだけで、涙が出そうになる。なぜそれほどかわいいのか?「日本子守唄協会代表」の西舘好子さんが『子守唄よ、蘇れ』の本の中で、こんな説明をしておられた。「命がせめぎあう時の母親は子供と対等。けれど孫ができると、命そのものにかわいさが出る。無条件の愛が出せる」。その言葉に続けて「孫を見てはじめて、人間として生きてきた役目が終わる時、死ぬ事が納得できるんですよ」ともおっしゃっていた。「誕生」と「死」は正反対のもの。いわば人生の入り口と出口のようなものだ。「誕生によって死が納得できる」とは、どういう事だろう……。もしかすると、人生とは「一本道」でなく「環」なのかもしれない。円環すると考えれば、入り口と出口の暗闇は、ひとつの同じ場所だと言えなくもない。生と死の源が同じならば、誕生によって死がわかると言う言葉にも、合点がゆく。
赤ん坊の寝顔はあどけない。だが、その顔がふとした拍子に、人生を知り尽くした老人の顔のように見える時がある。もし前世と言うものがあるとしたら、赤ん坊は未来よりも過去に近い存在なのではないか。哀しげな顔つきをしたり、考え深げに眉をひそめたり、幸福そうな笑みを浮かべたり……。それはまるで前世の記憶を辿っているかのようだ。赤ん坊は「無」ではなく、たくさんの記憶を抱えていて、生まれてひと月ほどの短い間に、その記憶を塗り変えて行くのではないか、そんな気にさえなる。まだ言葉を持たない赤ん坊に向かって「君はいったいどこから来たの?」と思わず問いかけてしまいそうになる。二歳くらいまでの幼子は、胎児の記憶を持つらしい。いつか機会を捉えて訊ねたら、答えてくれるだろうか。
孫の誕生で、蘇った思いはいくつかあるが、子守唄の懐かしさもそのひとつだ。湿った体をトントンと叩きながら子守唄を唄う。すると、波のようにうねりながら、幾層もの温かなものが体を包み込み、私自身も満たされていくのを感じる。・・・
【メモ】「子守唄よ、蘇れ」松永伍一ほか・藤原書店
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