喜んでいいのかどうか分からないが、エッセーにしろ民話にしろ、私が書く物に読者は、文意よりも、私に興味を持ってくれる。
若かったころには比すべくもないが、それでも日に1、2通ずつファンレターなるものが届く。
日に数葉のレターといっても、2年も経てば、大きな紙袋いっぱいになり、そうなると知り合いの寺などで焚き上げてもらう。
ただ知人、友人の手紙類は焚き上げないので、狭い部屋をいっそう狭苦しくしていて、友好の歴史でもあり悩みのタネでもある。
もっとも最近は友好の手紙が連発でくるわけではない。高齢になってからは、友人の名前も忘れるほど音信が遠のいている。
それでも明日あたり、彼から、あるいは彼女から、いつもの手紙が届くぞ、と予感すると、そのとおりになる友人方もいる。
多数ではなく、10人前後だが、石川えりさんもそのうちの一人で、ずっと以前の、私の「文章塾」の生徒さんだった。
私の「文章塾」は市原市五井のヨーカ堂「カルチャーセンター」にあり、当時市原市新堀にいた私を、教室を代表し、彼女が車で送迎してくれていた。
彼女は容姿も性情もすぐれ、だれからも愛されていたが、カルチャー教室では習性として居眠っていて、それでいて講義のポイントは把握していた。
えりさんは横着な師(私)と違い、とことん取材して書くタイプで、市原版「シティライフ」の特派記者をしていた一時もある。
やがてご主人について横浜に転居したえりさんは、あろうことか、その地で最愛の夫を亡くした。
やがて、えりさんの悲愁は初孫ちゃんの誕生で軽減され、再び私への音信がもどった。......