郷土の人の本

悟りにも似て 庄司進詩集『やせ我慢』


 庄司進氏の第三詩集が『こくぼ社』から刊行された。タイトルは『やせ我慢』だ。詩集中の作品から取ったものだが、詩集全体に氏の言うやせ我慢のようなものが流れている。作品『やせ我慢』は、無理に逆境に耐えるという本来の意味を踏まえているが、この全体に流れているそれにはもっと重厚なものがある。つまり、栄達や種々の願いを胸に長年生きてきた作者が、還暦を迎える今になってその無意味さを達観し、一種の悟りにも似た境地に立ったところのやせ我慢が、すべての作品に潜んでいるのだ。

 この境地は作者には『やせ我慢』に似ていると感じたのかもしれない。あるいは悟りなどという大げさなものではなく、やせ我慢のようなものだと、はにかんでいるようにも思える。

 この心境を示唆する言葉が『平教員』の中にある。

 『三十年経って/やっと春が好きになった』

 作者はいつの間にかこの境地に行き着き、その心で辺りが見られるようになっていた。すると、これまでうっとうしくさえ思えていた不器用な生き様の人間が、何とも慕わしい対象に思えて来るのだった。『豆腐屋の親父』や『竹さんの笛』また『老人』『ハトの好きな男』などには不器用な、しかしひたむきに生きてきた人間への限りない親しみがにじみ出、作品の背景に作者の温かい笑みとまなざしが感じられるのだ。

 同時に作者の心には感謝の念がわき上がってくるのだった。作品『ありがとう』や『ある女教師の退職』などを読むとき、人の真心に対する限りない感謝の念がオンドルのような暖かさをもって感じられる。しかもそれは、単に個人から個人への感謝ではない。人間がその生の根元に対して感じる崇高な感情とでも言おうか、それへの感謝だ。この感謝こそ作者が六十歳を迎えた今になって感じ得た一種の悟りの果実ではないだろうか。

 だからこそ庄司氏は、人は時として見栄を張るのも良い、と公言できるのだ。金もなく家族もなく、ただ好きな事に没頭する人生を送る人にもエールを送り、麻雀に明け暮れる人にも親しみを感じるのだ。このように氏は、全ての人生が肯定できるようになった喜びを、この詩集に託しているように見える。...

(高安 義郎…日本文芸家協会会員・県詩人クラブ顧問)


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