明治30年4月3日、国木田独歩とともに利根川沿いの布川に住む松岡國男(柳田國男・柳田家の養子となる)を訪ねている。
布佐は古くから渡し場があり、また汽車の駅もあったので、独歩も日記『欺かざるの記』で「布佐なる松岡君を訪ふ」と書いているが、対岸の布川である。
JR成田線布佐駅で降り利根川に架かる長橋を渡り、右に折れ、川沿いに降りると、柳田國男記念公苑がある。布佐駅から約徒歩30分。布佐の渡しからは10分ほどだったのだろうか。素封家を示すどっしりした門構えを入ると、格子戸の玄関奥に周囲にぐるりと広縁を配した木造平屋建て193平方メートルの邸宅が見えてくる。玄関の右側にある10畳と8畳の離れにも広縁が巡らされている。この離れを借りて國男の兄・松岡鼎が医院を開業していた。
旧小川家所有の邸宅で、現在は記念公苑として開館されている。さらに奥に進むと、國男が勉強した土蔵がある。國男に関するもの、花袋からの手紙、松岡兄弟に関する書物や品々などが展示されている。また布佐の竹内神社は松岡兄弟が桜樹を寄付したゆかりの神社。國男は勉学のため上京したが、布川の医院を実家としていた。
日本帝国大学の学生であった國男は、春休みに布川の兄宅に帰省した。この時、國男にはひそかに心を寄せる女性があり、その恋を花袋たちに打ち明けたらしい。花袋の小説「ひとつのパラソル」(『涼傘』『雄弁』大6・10『草みち』収録。宝文館)に、娘の姿を一目見ようと塀のかげや川の畔を彷徨う純情な青年が描かれている。
Kとあるのは國男のこと。Sとは花袋だろう。Sが二、三日前に降った雨で、ひどい泥濘になっている街道を人力車でやってくるのをKは出迎える。その少し後から女性の乗る人力車が近づき、パラソルを傾け顔を赤くして通り過ぎようとする。気づいたKは「今、帰っていらっしゃったんですか?」と、やっと一言を掛けたのだった。
花袋の自伝小説『妻』には、利根川に國男を訪ねた昔を思い出し、独歩と懐かしむ場面が書かれている。國男は「西」の名で、独歩は「田邊」、花袋は「勤」の名で登場している。
…一杯グッと干して、「先生の利根川の家に行ったことがあったね」「うむ」「機を織って居る娘があったね」と言ひかけてその時の状(さま)を思い出すといふ風をした。暫くして、「あの娘、何うしたろう?」「もう、子供が二人ある」「さうかなあ、さうだろうな、もう君も僕も三人の子持だから」(『妻』)
文中、先生とは國男のこと。國男の淡い恋は悲恋に終わったのだった。